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テレビ探偵団
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大平地区の歴史について詳しくご存知ありませんか。私はあの地区出身なのですが、あそこは小字の数が非常に多く、また「明神」「氏神」「天神兵」など神にちなんだものが多いので不思議に思っていました。このサイトではじめてお大平様伝説というものを知り、なにか関連があるのかな·····と思ったのですが、なにかお聞き及びのことがございましたらご教示頂ければ幸いです。
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Date: 2019/03/19/15:49:18
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tanupon
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テレビ探偵団さん、こんにちわ。 わたしは利根町出身ではなく、あなたが大平地区出身ということで、質問が逆なのでは(笑) tanuponが本サイトで記していることは『利根町史』に記されていて、それ以上は詳しくありません。 大平地区は五十嵐姓が多く(もしかするとあなたも?)、現地に行かれて五十嵐さんにお尋ねすると分かるかもしれません。確か五十嵐五郎氏が記された『大平村の歴史』という文書が残されているようで、これは実はtanuponもいつか拝見したいと思いながら、ツテがなく分からないままになっています。 ということで、お役に立てなくて恐縮です。
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Date: 2019/03/19/16:53:35
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テレビ探偵団
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そうですか... 大平といっても現在はもえぎ野台になってしまったところなので昔のことがよく分からないのです。小字のことも、最近利根町史1巻付属の小字地図で知りました。 庄兵ヱ台遺跡の記事を読みましたが、あれも旧大平の地名のようです(昔庄兵衛さんという人がいたのかは知りませんが...) 権現塚も地名からだいたいの場所の推察はつきますが、読む限り遺構はなにも残っていなそうで残念の極みです。団地の造成で隠滅したのなら場所を知っている方もいそうですが.... グダグダと恐縮でしたm(_ _)m
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Date: 2019/03/22/03:28:10
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近江兄弟
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はじめまして。
ご存知かもしれませんが、谷原地区というのは一般にいう被差別部落でした。もう消されてしまったようですが、数年前まではネットで谷原の古老の話を収録したサイトがあったように思います。 わたしは少年期に谷原に近い布川下屋敷地区に住んでおり、祖母に「あそこのもんは犬食ってしのいでるような連中だから関わるな」としつこく言われたものです。(もうずっと昔の話ですが……)
サイトで見る限りもう再開発も進んだようでそのような差別はほとんどなくなったでしょうが、最近郷土の歴史に興味を持って取り寄せた利根町史にも谷原地区についての情報はほとんどなく、昔のことを思い出しました。
タヌポン様はかなりこの町の歴史を調べているようですが、谷原地区の歴史についてなにかご存知のことはございませんでしょうか。
P.S この文章に差別的な意図は一切ありませんが、タヌポン様のお気に障られた時は削除していただいて構いませんm(_ _)m
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Date: 2018/02/17/19:06:13
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tanupon
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近江兄弟 様
tanuponです。 拙サイトをご覧いただきありがとうございます。
おたずねの件ですが、結論から申上げると 「谷原地区」のことは風のうわさで聞いている程度でそれ以上はまったく知りません。 またこの件に関して、今後調査をすることもおそらくないと思いますし、文献等が残っていることも聞いた事がありません。 当該地区の年輩の方々にお聞きするしかないと思われますがこうした件に関しては難しいのではないかと思います。
わたしのサイトでは、主に神社・仏閣・石仏関係を目で見える範囲で網羅すべく調査をしています。 当該地区はそうした建造物が比較的少ない地域のように思われます。 それ以外の民俗学的な調査はまったく行っておりません。 柳田國男が調べていればいいようなことですが、民俗学者となったのは東京へでてからですからね。
ということで、お役に立てなくてすみません。 よろしくお願いします。
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Date: 2018/02/17/22:17:53
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近江兄弟
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返信ありがとうございます。 いえいえ、こちらこそ申し訳ないです。突然不躾な質問を失礼致しました。
これからも更新楽しみにしております。
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Date: 2018/02/18/01:58:25
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けんいち
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タヌポンさんこんにちは。 2015年の祭礼は大祭ですね。フレッシュタウンで参加します。御輿の担ぎ手など少なくなっているんでしょうね!
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Date: 2015/07/05/08:31:27
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tanupon
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けんいちさん、はじめまして。 フレッシュタウンで参加、というのは子供神輿のお手伝い、ということではないですよね。 3年に1度の大祭は、馬場地区とか内宿・浜宿等々の旧の6地区の方々が中心で催行されていますが、そちらのどこかに「助っ人」で参加されるということですか? 少子高齢化で全国的に若い方の神輿の担ぎ手が足りなくて、利根町もさらに深刻な問題。以前からの大会でも、布佐のほうの担ぎ手の方にも依頼しているとか聞きます。 伝統行事も若い人につなげていかないといつかは消えてしまいますので、近隣の町との協働もこれからどんどんすすめていかないとダメですね。 以前は6地区だけの閉鎖的なイメージでしたが、いまはそうした面でも開放的になり、同じ利根町なら周りの地区の若衆もぜひ参加していただきたいと思います。歓迎されると思いますが・・・ こういうわたしもフレッシュタウン在住の他県からのよそ者ですが、もう神輿をかつげるような歳ではないのでなんの役にも立ちません(笑)
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Date: 2015/07/05/12:30:07
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佐藤健一
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タヌポンさんこんにちは。 2014年の地蔵市はどんな感じか教えていただけるとうれしいです。
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Date: 2014/11/22/17:02:57
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tanupon
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佐藤さん、こんにちわ。 地蔵市・・・現在は地蔵祭りと呼んでいますが、毎年11月末の土日ということで、ことしは11/29-30の開催です。 役場にポスター等貼ってあるとも聞きましたがわたしは未確認です。また徳満寺より新聞折り込みでの告知がされるようです。ほかに各地域の回覧でもお知らせがあると思います。わたしのフレッシュタウンでは未確認ですが近々あるのではと思っています。 お急ぎなら役場もしくは徳満寺にお尋ねするといいかと思います。
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Date: 2014/11/22/17:50:29
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tanupon
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広報とねの記事
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Date: 2014/11/23/12:09:38
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くめたろっ?
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日枝神社、谷原地区とは全く関係ない場所なのに小学校の時、何故か「やわらの紙人形」と呼ばれていました。 お化けが出ると噂で、夏休みに肝試しに行った帰り、二人が具合悪くなってしまったので、(一人は私)その後近づいていないのですが、タヌポンさんは「やわらの紙人形」という名はご存知ありませんか?
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Date: 2014/08/06/07:11:16
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tanupon
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くめたろっ? さん、こんにちわ。 残念ながら、わたしはこの地生れではないせいもあって、民俗的な伝承については、『利根町史』などの文献に載っていることしか知りません。「やわらの紙人形」という事項は見落としているかも知れませんが初めて聞きました。 所属している会の地元出身の方にこんどたずねてみます。 ただ、神社と紙人形と聞けばすぐ思い浮かぶのは「丑の刻参り」という呪いの儀式のことです。仮にそのようなことが過去に日枝神社でなされていたとしても、「伝承」という形では文献には掲載しないようにするかも知れません。ただし、丑の刻参りは日枝神社に限らずどの神社でもいいわけで、深夜ですが人に見られると呪いが効かないということがあるので、当然、人寂しい神社が選択されるでしょう。現代でも、多くの神社は昼間でも「暗く薄気味悪い」ところが多いですから、鎌倉街道の中の王子神社などでなくても、どこでもその「候補」になり得ます。 行為そのものも狂気じみていますが、そんな怖いところでそんなことをする気にはとてもなりません(笑)。 まあ、くめたろっ? さんの子供時代の話ですから、大人が怖がらせる意味でそんな話が出て、伝わったのではないかと想像します。以上はあくまでもわたしの推定ですが、とくに「やわらの紙人形」という名でなにか伝承されているものがあるかどうかは、知人に聞いてみます。
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Date: 2014/08/06/11:36:25
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佐藤 健一
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こんにちは。 タヌポンさんお返事ありがとうございます。 おはようございます。 お体の方はいかがですか? 布川小学校へ行っている娘たちに聞いたら、ボンポ行。 歴史や地域の勉強にすごく活用しているとのことでした。 本当にありがとうございます。 布川神社の神様は木の神様なんですね。
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Date: 2014/07/28/09:35:21
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tanupon
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Date: 2014/07/28/22:28:11
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佐藤 健一
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こんにちは! 今日は布川神社の御神輿でした。 来年は大祭だから大変ですとみなさん言っていました。
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Date: 2014/07/27/22:09:35
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tanupon
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佐藤さん、少しご無沙汰です。 わたしも昨日、おそばやさんに行ったら貸切宴会で入れませんでした。3年に1度の大祭なのですが、平年も小規模の催しは行われているのですね。 再来年とおもっていたら、来年ですか。毎年、この7月末の日は晴れてすごく暑い日が続きます。 わたしは今夏、体調をくずして、いま検査等で医者通いが続いています。なんとか早く元気になりたいと思っています。
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Date: 2014/07/28/03:48:04
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佐藤健一
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楽しみにしています。 資料集めはどのように行うんですか? 参考までに教えてください!
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Date: 2013/12/04/20:50:44
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tanupon
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赤松宗旦に限らずこの時代は名前(号)を世襲する習慣があります。 利根川図志を「主に」記したのは2代目宗旦義知です。初代は宗旦惠といいますが、「利根川」という縦断型の地誌考案の企画は父の惠の発想ではないかと思い、わたしはこのことを高く評価しています。 赤松宗旦は3代目までいますが、3代目はごく普通の人だったようです。
赤松宗旦および利根川図志について調べるのは、まずは利根川図志を読んでみることですね。岩波文庫なら安く手に入ります。古文書は高価で、復刻版すらわたしには手が届きません。でも早稲田大学のデジタルライブラリーでDLできたかと思います。 次に利根町史1巻〜6巻に精しく掲載されています。あと利根町では、常陽銀行前に宗旦が住んでいた旧居が見学できます。その他は図書館で。歴史民俗資料館に文献その他が保管されていますが、貴重なものもあるので閲覧だけしかできないと思います。 ひとつ調べるといろいろ芋蔓式に疑問も出てくると思いますので、それをまずネット検索してみれば、次に調べる方向性が出てくるかもしれません。利根町に居た人なので、利根町以外ではあまり精しい文献は見つからないかも知れませんが、利根川沿いの地域が図志に掲載されているので、当該地区の市町村・図書館を調べれば新しい発見があるかも知れません。(銚子や佐原地区、木下・小林等々)
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Date: 2013/12/04/22:18:39
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