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佐藤健一
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こんばんは。宗旦さんは木下の河岸についてもその様子を見て記録に残していますね。 地蔵市の様子も記していて興味ありますね。 新利根川の工事もいいですね。
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Date: 2013/12/03/21:25:28
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tanupon
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佐藤さん、こんばんわ。 赤松宗旦は柳田國男や小林一茶よりも利根町に縁の深い人物だと思います。それだけに、資料をよく集めてコンテンツをつくりたいと思っていますが時間がかかりそうです。 新利根川の工事も「利根川東遷」という大きなテーマを含んだもので、これもまたし残している大テーマのひとつです。 いずれもいつ完成することやら(笑)。
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Date: 2013/12/03/23:14:23
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佐藤健一
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おはようございます。 たくさんのかきこみ素晴らしいですね。 なにげない風景の中に、考えるヒントがたくさんあることがわかるホームページですね。 (^O^)/
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Date: 2013/12/03/05:13:52
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tanupon
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佐藤さん、おはようございます。 このサイトも先日、大体の利根町の墓地の探索を終えて、そろそろ「赤松宗旦と利根川図志」について、と思っていますが、こういう利根町のメインテーマを後回しにしてきたツケが・・・。ちょっと時間がかかりそうです。 なにか誤謬があればご指摘くださるとありがたいです。 今後ともよろしくお願いします。
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Date: 2013/12/03/11:48:02
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佐藤健一
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こんにちは! お返事ありがとうございます。 メアド私もそういうときがありびっくりしました!
神宮寺先生のお話の時にたくさん中座してしまった小中学生がいたので、失礼なかったかと心配してしまいました。 最初に講評をして、最後に表彰でもよかったかもしれませんね!
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Date: 2013/12/01/12:06:56
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tanupon
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tanuponです。 投稿がだぶりましたので最初のメアド入りのものは削除しました。でも、自分の投稿は、一番下の欄でできます。最初に投稿欄のほうの右下にある[147]などの番号を入れ、nameと設定したパスワードを入れれば修正・削除できます。 昨日はわたしのほうは外の風景を撮影したりしていました。またよろしくお願いします。
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Date: 2013/12/01/16:55:48
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佐藤健一
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こんにちは。私は今日 「授業中 柿のことだけ 考える」の句を投稿した。佐藤南美の父です。facebookをやっていますので、タヌポンさんの記事をシェアしました。素晴らしいですね。これからもお元気に活躍してください!
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Date: 2013/11/30/16:34:00
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tanupon
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佐藤さん、初めまして。 南美さんの句は素晴らしいですね。 句会のごあいさつで会長の古田先生がわたしのことを何かご紹介いただいたようで恐縮しております。 わたし自身は不調法でろくな句もつくれませんので句会には参加しておりません。 またTwitterは適当にやっておりますがfacebookはまだ登録していません。 これからもよろしくお願いします。 なお、メアドが打ち込める仕様のBBSですが、ここに入れ込むとスパムが一気に届く恐れがありますので、わたしのほうで削除させていただきました。あるメアドをWebに10年も前にいちど掲載したため、いまだにそこへスパムが届きます。
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Date: 2013/11/30/16:51:40
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さつ
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御久し振りです。以前「廿五日は…」の句の件で投稿させて頂きました、さつと申します。この句についてですが、様々な謎をはらんでいます。 まず誰が詠んだかですが、一つは句碑にあるように、芭蕉説があります。そしてもう一つ、この句が載っている別の書物「塵塚物語」「天文雑説」では、宗祇によって詠まれた事となっています。さらに、「宗祇諸国物語」では宗祇の門人が詠んだ事になっています。ただし「塵塚物語」「天文雑説」「宗祇諸国物語」はいずれも物語であり、いずれかの物語の作者が詠んだ可能性、物語の作者が既にあったこの句を使って宗祇作や宗祇の門人作という設定の物語を作った→本当は芭蕉作であるが誰が詠んだか伝わらず流布し、各物語の作者が物語に合わせて作者を変えた可能性、等々様々な可能性を挙げる事ができると思います。そのため、句の詠み人が誰であるかは、謎のままです。 また、詠み人が誰かを考えた時に句が載っている各書物の成立年代の問題も出てきます。「宗祇諸国物語」の成立年代は1685年となっていますが、「天文雑説」は1532〜1555年の間のどこか、「塵塚物語」は1522年となっています。「天文雑説」「塵塚物語」が本当に1500年代の成立であるならば、芭蕉の生きた時代とのずれがあるため、この句の芭蕉説は違っている事になってきます。しかし、私が学生時代にお世話になった研究室の教授は、「塵塚物語」と「天文雑説」は内容が酷似しており、どちらかがどちらかを真似て作られ、尚且つ本当は書物に記載された年代ではなく、江戸時代に入ってから作られたもので、わざと過去の年代を記載したのではないか?」とおっしゃっていました。また、物語自体の成立年代が記載された通りであったとしても、句が含まれている話が成立年代よりも後世の江戸時代になってから作られ、物語に付け加えた形で出版された可能性もあると思われます。 私が知っているのはここまでです。この句の詠み人及び成立年、そして句の登場する物語との関連は謎のままです。 結局謎を残したままになってしまい、申し訳ありません。長々と失礼致しました。
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Date: 2013/07/10/20:04:44
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tanupon
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さつさん、再度の考察お待ちしておりました。 まとめますと、 ●「句碑」・・・芭蕉説 ●「塵塚物語」「天文雑説」・・・宗祇によって詠まれた説 ●「宗祇諸国物語」・・・宗祇の門人が詠んだという説
ただし「塵塚物語」「天文雑説」「宗祇諸国物語」はいずれも物語であるため以下の可能性もある ・いずれかの物語の作者が詠んだ ・物語の作者が、既にあったこの句を使って宗祇作や宗祇の門人作という設定の物語を作った ・芭蕉作であるが誰が詠んだか伝わらず流布し、各物語の作者が物語に合わせて作者を変えた
他方、句が載っている各書物の成立年代の問題からの考察では ・「宗祇諸国物語」の成立年代は1685年 ・「天文雑説」は1532〜1555年の間のどこか・・・芭蕉の生存年とのずれがある ・「塵塚物語」は1522年・・・芭蕉の生存年とのずれがある
しかしながら、 ・「塵塚物語」と「天文雑説」は内容が酷似、どちらかが一方を真似て作られ、且つ実際は、江戸時代に入ってから作られたもので、わざと過去の年代を記載した、という見方も ・物語自体の成立年代が記載された通りであったとしても、句が含まれている話が成立年代よりも後世の江戸時代になってから作られ、物語に付け加えた形で出版された可能性も
と、上記のようなことかと思います。 結局、「不明」ということですが、たいへん勉強になりました。 後日、またこの件を引用紹介追記させていただきます。 よろしくお願いします。 わが利根町の諸先生方で、この件について研究されているという話は聞いたことがなく、残念ですが、わたしのサイト内で「さつ」さんの考察を紹介することによっていつかは解明されることを期待します。 どうもありがとうございました。
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Date: 2013/07/11/02:09:21
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tanupon
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Date: 2013/10/08/01:51:14
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ひづめ
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tanuponさん、こんにちは。 ご無沙汰しています、美浦村お散歩団のひづめです。
先日岡田さんの「北総の秘めたる遺跡掲示板」にコメントされているのを拝見しました。そうなんです、岡田さんとは『図説茨城の城郭』をいっしょに執筆したお城仲間です。
ところで、土浦市の上高津貝塚ふるさと歴史の広場で昨日5月6日まで開催されていた展示会『古代のみち』がとても興味深かったので、以前散策した以外のルートを最近歩き直しています。
石岡国府へ向う古代東海道は奈良時代には荒海駅(成田市荒海)から榎浦津駅(稲敷市柴崎)へ渡っていたのが、平安時代になって蛟蝄神社辺りへ渡河して信太関(龍ケ崎市関)から榛谷駅(龍ケ崎市半田)を通って現在の牛久市井ノ岡辺りで奈良時代からある東海道へ繋がるルートへと変更されたということでした。鏃塚を含む道に沿った細長い畑地、笠脱沼、北河原から上佐沼への斜めの直線道路なども古代官道と関係しているかもしれませんね。水田なので後世の改変を受けやすいですが、掘って版築でも出たら凄いです。
昨日は東京の実家からの帰路、常磐道を途中で降りて蛟蝄神社とその周辺を見てきました。利根町なのでそうだそうだtanuponさんのサイトに載っているはずだと気づき久しぶりにお邪魔した次第です。さすがに詳しく調べられていますね。後ほどまた読ませていただきます。ではまた。
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Date: 2013/05/07/12:03:04
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tanupon
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ひづめさん、お久しぶりです。 東国戦記という本を調べていたら岡田さんとおっしゃるのですか、その方のすごいサイトに出会い、驚きました。城郭など研究されている様子なので掲示板の「ひづめ」さんの名を見て、もしやと思い書き込みました。 利根町には鎌倉街道の下の道が通っていたといわれています。わたしのサイトでも紹介していますが、岡田さんやひづめさんの広範囲かつ深い研究にはとても及びません。 岡田さんのコンテンツももっと更新してもらえないかな、などと期待しています。 今後ともよろしくお願いします。
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Date: 2013/05/07/18:38:59
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tanupon
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管理者テスト
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Date: 2013/01/11/19:33:00
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さわらびY(ゆみ) E-Mail
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初めまして 千葉県側で子安塔や十九夜塔の追っかけをしています、さわらびYです。
利根町の石造物について、「タヌポンの利根ぽんぽ行」の記事とマップで、たいへんお世話になっています。
下記のブログの記事の中でそのことと、「大平神社2」を紹介し、引用させていただきました。
今後ともよろしくお願いします。 なお、「とねとねclub」のお仲間にも入れていただければうれしいです。
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Date: 2012/05/17/19:15:14
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さわらびY(ゆみ) E-Mail
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Date: 2012/05/17/19:18:04
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tanupon
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さわらびY(ゆみ)さん、こんばんわ。
コンタクトありがとうございます。 ざっとですが、さわらびYさんの記事を拝見しました。かなり充実した内容で、わたしなどよりもよほど深い研究をされているものと拝察しました。
とくに十九夜塔と時念仏塔の起源について探求されているようにも思いましたが、利根町のなかでは1.2である徳満寺にはいかれましたか? 徳満寺のコンテンツは、お寺の内容が豊富でまだまだ研究途中で今後更新をしていかねばならないものですが、拙サイト徳満寺コンテンツ内の以下をぜひご覧ください。 http://toneponpokou.tanuki-bayashi.com/tokumanji/index.html#JUKYUYATO 日本最古の十九夜塔と時念仏塔 と題した石仏が境内にあります。精しくはぜひご訪問いただき取材されるといいと思います。
とねとねクラブは、当サイトにコンタクトいただいた方すべてに負担無しで自由に参加できる(そのかわりなんの特権もメリットもない)クラブです(笑)。それでもよろしければ、大歓迎です。オフ会もなにも企画ありましせんし・・・。 ああ、この更新もしなければ・・・。 といことで取り急ぎ。 コメントありがとうございました。
写真はつい先日、20120513になぜかたまたま撮った当該写真です。必要でしたら元データが添付できるメアドをtanupon post mailでお知らせください。
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Date: 2012/05/17/21:38:30
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tanupon
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あっ、もう徳満寺にも行かれていますね。 失礼しました。
大平神社は探索の初期に訪れた神社で、最近、40基前後のたくさんの石仏がある、惣新田の勢至堂や上曽根の観音堂をもういちど精しく見て更新して行くつもりです。 さわらびYさんの新しい素材となりうるものが発見できるか分かりませんが、少しずつ解明していきたいと思っています。 今後ともよろしくお願いします。
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Date: 2012/05/17/21:47:30
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