狸囃子について

TOPページ>狸囃子について

狸囃子について

ご注意:このコンテンツを読まれる方は、まず、つれづれ道草第2段 を先にお読みいただくとより分かりやすいと思います。

「狸囃子のきこえる家」というサイトタイトルであるにもかかわらず、「狸囃子」に関する記述があまりない(つれづれ道草第2段 しかない)。また、「たぬきばやし」という読み方もきちんと平仮名で記しておくのがユーザーフレンドリーだ。という妻の指摘がありました。(04/10/08 現在)

わたしとしても、これらの文献等がもう少し集まればまとまったコンテンツをつくるつもりではあったのですが、妻の言うとおり、もう少しは最初から説明すべきでした。またせっかく自宅でそれを現実に体験しているのに、このサイトでは「狸囃子」を一般論として取り上げているようにしか見えないという感じもありました。
そこで、急遽、それを是正し、関連資料を提供してみようと前に少し調べていたサイトを確認し出したのですが・・・。

文献探しから身近な人へ

インターネットから知りうる限りの「狸囃子」に関するデータを収集しようとして、「本所七不思議」関連サイトを覗いていると、とあるページ「異界その1第六頁」に出会いました。それは「ものがたりの広場」というサイトの1ページです。そこでは、本所とは別のある地域において、七不思議のひとつ「置いてけ堀」に準えた「置いてけ沼」に加えて、「狸囃子」の伝説がいまも残っているというのです。

さてそのある地域とはどこだろうと見てみると、そこにはなんと、わたしが「じぶん探訪その1」でとりあげた「若柴の散歩道(現在の 牛久沼ドットコム)」サイトのことが紹介されているではないですか。しかも、驚くことにそこでは狸囃子が「河童囃子」として伝わっているのだそうです。

そこで、再度「若柴の散歩道」を見てみると確かにその記述がありました。
その地区とは茨城県牛久市、牛久沼や近隣の小貝川近辺を指しています。これは、わたしの自宅の近隣でもあるのです。茨城県牛久市の牛久沼が「置いてけ沼」ということになります。

「若柴の散歩道」および「牛久沼ドットコム」サイトを開設している「田舎の和平」さんこと前田享史氏とは「狸囃子のきこえる家」開設当初にリンクのお願いをしました。ご親切にも、ご自分のサイトのなかでこのサイト開設を ご紹介いただいた ほか何度かメールでお話ししましたが、狸囃子についてはまだ何も2人の話題にはあがりませんでした。
それはわたしが妻の指摘どおりタイトルに直結したコンテンツの充実に着手していなかったのも原因かも知れませんが、灯台下暗しというか、身近な和平さんのサイトを隅々まで拝見した上で、こちらから河童囃子のことなどをお尋ねするのが当然でした。

河童囃子は「牛久沼の河童伝説」ページに記述されています。牛久は少し離れていますが小貝川ならすぐ近くです。また牛久では毎年夏に 牛久かっぱ祭り というのを開催し、「河童囃子」を子供たちが踊ったりする、という記述も他のサイトで見つけました。
そういえば、娘も牛久の高校に通っていて、夏にお祭りがあると言っていたようです。それがこの河童祭りなのでしょう。
とすれば家でわたしたち家族が現実に聞いた「狸囃子」は、「河童囃子」というべきものなのでしょうか?
牛久沼近隣に住む人々もそうですが「田舎の和平」さん自身も果たして現実の生活においてこの音を聞いておられるのかどうかについてとても興味があります。
いつか直接、お会いしてお尋ねしたいとも思いますが、いまはまだあえてそうしないでいたい気もします。

真相解明に向けて

わたしは、ホンモノの狸や河童(カッパに本物も偽者もないでしょうが)が、お囃子の発生源となっているとはもとより思っていないので、わたしの家もしくはこの近辺でのその現象を狸囃子と呼ぶべきか河童囃子が妥当かということには拘泥ってはいません。
しかし、狸は現実にいるだれもが見知っている動物であり、それゆえにこれが腹づつみをしているなどとは到底思えません。
奇妙な話ですが、狸よりむしろいまだこの目でその存在を見定められていない架空?の「河童」がその音を奏でている、としたほうがかえって現実味があるようにも思えるのが不思議です。

それでも、わたしが聞いたあの音は、やはり「狸囃子」と呼びたい気がします。
たとえ、それがほんとうに「河童」のせいだとしても。「河童が演奏する狸囃子」のというのも面白いのではないでしょうか。
いずれにせよ、異界サイトでも和平氏のサイトでも、狸囃子ならぬ河童囃子がどうして聞こえてくるのかその真相解明まではされていないようです。

わたしは今度、もしそれが聞こえたときは、たとえ深夜であろうとも、いやむしろ深夜であればあるほど、夜が明けてからの会社出勤等を忘れ、蒲団から出てその音を追跡してみようと思っています。後でご紹介する若き日の泉鏡花が記したように。
でも、追いかけても追いかけても 逃げ水 のように掻き消えてしまうことこそが狸囃子の真骨頂であるとしたら、どうしたものでしょうか・・・。また、音源を追いかけた終着駅が取手駅で、バンドの深夜練習をしている若者たちに辿りついてしまうのも興ざめだなあとも思います。

つれづれ道草第1段 でもお話ししたように、科学的解明を果たして自分がほんとうに望んでいることなのかどうか。
よく狸囃子を聞く自宅のトイレにしても、そのすぐとなりが風呂場であり、湯垢でつまった排水溝のそれがときどき一気に流れて、その音がそのように聞こえてくる、狸囃子とは、そのようなわが家だけの特有の現象かも知れません。
そんなことなら知らないほうがましのような気がします。
しかし・・・そうであったとしても、わたしはやはりその追求を止めないでしょう。
なぜなのか、自分でも分かりません。

(04/10/12)