つれづれ道草

すべてはどこかで繋がっている...

第1段 不思議大好き

不思議大好き、とは昔、コピーライターの糸井重里氏が西武百貨店の企業広告で使ったコピーである。

このコピーが氏の代表作のひとつである所以は、それが共感できるフレーズであるからだ。
不思議なことというと、大概の人は興味をもつ、筈だと思う。世の中の酸いも辛いも知り抜いた老爺でも、少年のころはきっとそうだったのではないだろうか。いや意外と死ぬまで人は、科学では解明されない不可思議なことにだれしも興味をもつのではないだろうか。

しかしながら、自分自身が実際に不思議な体験をすることは、存外、少ないように思う。

そんなことはない、よくテレビで見る、巷にありふれているではないか、という人もいるかも知れないが、珍しいからこそ番組になるのであり、いっしょにテレビを見ているこちら側の人は自分を含めてたいがいそれを体験していないことがふつうである。

希少であるからこそ、他人が体験した(と主張する)超常現象などの特番がいまひとつ疑わしいにもかかわらず視聴率を稼いだりするともいえる。

それらはほとんどが突拍子もない、信じがたいものが多く、結局はよくわからないままCMに移行し、消化不良のまま終わってしまう。そして、疑り深いわたしなどの視聴者はそんな現象など結局は、テレビ局が捏造したものではないかとさえ思ってしまう。

それでも最近、科学的にそれを分析する番組もあってそれは興味深く見ることが多い。

ところが最初、不思議だと思っていても、その解明を聞いてしまうと、なんということもない、ということになってしまい、一気に興味を失ってしまうことがある。まるで解明を聞かないときのほうが幸福であったかのように。

このように解明されて不思議感覚が雲散霧消してしまうのも困るのだが、解明されないならされないで、自分自身が体験していない現象である限り、その現象の実在すらも疑わしいものに思えてしまうのも困ったことだ。

科学的に解明したいと思う反面、この世に不思議が消えてしまうのも寂しいと思うわたしは贅沢といえようか。

ともかく、「不思議」に関しては自分が実際に体験しないと、科学的解明の如何にかかわらず、人はなかなかその実在を信じない、ということは言えるようである。

そんななかでわたし自身が体験したもので、面白いと思ったものを次の段で紹介してみたい。

(04/09/18)

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