遠出はできないからまず身のまわり、心のそばからというところでしょうか。
まずは、「わびさび写真館」(04夏編)のスライドショー写真の説明をするのが筋というものであろう。
2004年の8月上旬に1週間ほど夏季休暇を取った。これらの写真はそのときに撮った自宅近辺のスナップである。
先立つものがないからということもあるが、近隣でいちど訪れてみたいと思っていたところがあったので、それをからめて自分のサイト構築の準備をしようと思ったわけである。安上がりの夏休みとなった(いつもそうだが)。
お金持ちなら家族で海外旅行とやらに行くのだろうが、年頃の1人娘は中年の口うるさい保護者たちに付き合う気は更々なくわが道を進んでいることだし、妻はというと・・・。
まあ妻はともかく、1人でデジカメ持って50ccのバイクに乗って出かけたわけである。
出かける前、番(つがい)のアブラゼミ2匹が庭のもみじの木にとまっていた。ちなみに下の大きいほうがメスである。それを見て「妻の夏休みは?」とふと思ったが・・・まあいいか。
そうして、セミ捕りにいく少年のように、わたしは家を出た。
行ってみたいところ。
それは、通称「若柴の散歩道」と呼ばれるところで、なにかの拍子で同名のサイトにたどり着き、初めて知ることとなった。
話は少し前に戻るが、学生時代、わたしはなぜか武蔵野という言葉、またその言葉から連想するイメージに強く惹かれていた。
武蔵野といえば国木田独歩の「武蔵野」、大岡昇平の「武蔵野夫人」が有名だが、
太宰治が入水自殺をした玉川上水の趣にも憧れに似たものを感じている。
三鷹で一人暮らしをしていたとき、いちど武蔵野夫人の小説の舞台を訪ねたことがある。
「はけ」と呼ばれた地域の「野川」の水源をたどって国分寺と小金井市近辺を歩いてみたのだが、
恋ヶ窪に辿りついて、あわやクライマックスというところで、「日立中央研究所」の高い壁にぶつかってしまった。
その場で見学を申し入れたが、
どこの馬の骨ともわからない長髪のきたない形(なり)をした学生風情(学生だったのだが)の男を通してくれる守衛氏ではなかった。
その当時からそうだったのかはわからないが、最近、その研究所が年に春秋2日だけその庭園を公開していることをあるサイトで知った。
ちなみに今年2004年は、来る11月14日(日)がそうであり、訪ねてみようか、という気にもなってくる。
(11月14日、訪問実現。この話は、「じぶん探訪その4 35年目の邂逅」をご覧ください=04/11/20追記)
その研究所の中の水源と思われる池の写真を見て、
ああこれがあのとき断念せざるを得なかったシーンだったかと感慨深いものがあった。
研究所自身もWEBを公開していることがわかり、30年前の学生時代を振り返りまさに隔世の思いがした。
そのほかにも「武蔵野夫人の舞台」をとてもくわしく紹介したサイトもあり、
それは嫉妬を感じるほど素晴らしい内容で、同好の士、また研究熱心な方もいるものだと改めて世間の広さを感じた。
そうした武蔵野の面影を残す場所は希少になって久しい。
その中でも埼玉、野火止の「平林寺」は、
いまもその姿を伝える貴重なものとして残っていることをわたしは学生時代から知っていた。
一度だけある冬の寒い日に結婚前の妻と一緒に訪れたことがある。
その時は震えながら早々に退出してしまい、いつの日かまた行きたいと思っているがまだその機会が訪れていない。
これもネットで検索すると「平林寺の不思議」という名の素晴らしい大作が見つかった。
この作者もわたしがやりたいと思っていたことをすべて探索、研究されているようだ。
全部は拝見していないが、これだけ調べるのは容易ではないだろう。
その関連かどうかは忘れたが、そうした武蔵野の俤をたどって探索ならぬ検索をしていたときに、
灯台下暗しというか、わが家に比較的近いところに小規模ながらそれらしきものが見つかった。
それが、「若柴の散歩道」であった。
したがって、その内容はわたしがここで紹介するよりはそのサイト「龍ヶ崎・若柴の散歩道」をご覧いただくほうがずっと価値がある。
わたしのは無計画のたった半日で撮ってきたランダム写真であり、
そのサイトのコンテンツのほんの一部であり、また少し解説したところでそこからの転用になってしまうのだが・・・。
とはいうものの、それらにキャプションくらいは付与するのが読者に対する礼儀というものであろう。
もしそれにつけ加えられるとすれば、せいぜいわたしの個人的な感慨くらいであろうか。
では、以下。
ねがらとは根がはびこるという意味。
常磐線佐貫駅から徒歩5分程度。
ここもすでに散歩道のひとつの入り口でもある。
「種池」・・・ねがらの道に沿っていくつかある。
どれか湧き水が出ているというが、
写真の池がそうなのかはわからない。
散歩道上部へ向かう階段。
わたしはバイクだったのでここを上らなかったが、
後で紹介するクヌギや杉林の道などへ
つながっているのだろう。
左は足袋屋坂という急坂の途中にある大木の根っこ。
長くはない坂なのだが、わたしは体重過多なので、
少しバイクを降りてひっぱらなくてはならないはめに・・・。
足袋屋坂を上って左手に少しいくと曹洞宗の古刹「金竜寺」がある。
写真はその参道でこの奥に新田義貞を祀った何かがあるとは後で知ったこと。
だあ〜〜れもいなくて、中に進んでいいのかわからず、
気の弱いわたしはここで引き返す。
余談だが、下調べもなにもない証拠に、
この寺の名前が「きんりゅうじ」なのか「こんりゅうじ」なのか
はたまた「かねたつでら」なのか、わたしは未だ知らない。
この後は、メインの散歩道になるのだが、8月上旬のいちばん暑い昼下がり。わたし以外、だれにも出会わなかった。
林のなかはしいんと静まり、ひんやりとした空気が肌に伝わってくる。
しかし、わたしが、なんともいえないゾクッとした戦慄に似た感覚を抱いたのは、実は帰宅してからだった。
この話は、このぺージ、巻末に・・・。と思ったが、こういうテーマは「気になる果実」の項目に入れるべきだろう。
上の散歩道の途中に、「丘の家」という瀟洒なカフェレストランが見つかった。
美人のママがおられるということだったが、その日はたまたま日曜だったせいか尊顔を拝することはなく、ご主人らしき?方とお会いした。
周辺のMapをいただいて、鬮(くじ)神社の場所も聞いたのだが、方向音痴のわたしは結局、そこに辿り着けなかった。
客はわたし1人で、アイスコーヒーを貸切でいただいた。
この店も「龍ヶ崎・若柴の散歩道」と連携して可憐なサイト「丘の家通信」を開設している。
(「丘の家」は残念ながら04/10/27で閉店となってしまった。サイトも終了するということだ)
あといろいろ訪ねてみたのだが、今後も何回かくることがあるだろうからと、それほど写真は撮らなかった。
紹介できる「若柴の散歩道」の写真はこれくらいである。
次はどこへ行こうかと地図を眺め、ふと汗を拭って見上げると、青い空をバックに高い木々が聳えている。
セミの鳴き声がやけに耳に響いてきた。
妻はどうしてるかなとわたしは携帯を手に取った。
それからまもなく、わたしはやはり自宅近辺の自分の散歩コースとなっているところを少しデジカメで撮ってみることにした。
それが以下の写真である。
小貝川にかかる戸田井橋付近の遊歩道。左の小道で暑い日、よく「逃げ水」を見る。
東京芸術大学(取手校)の裏手に近い公園の一角。利根川の景色が楽しめる。地図の釣りイラスト地点。
小文間と書いて「おもんま」と呼ぶ
とても美麗なブルークリーンの高須橋。
ここでひとまず、 「じぶん探訪 その1.休み取り、セミ捕り気分で、写真撮り」は終了である。
(04/09/23) (04/08/08-10撮影)