つれづれ道草

すべてはどこかで繋がっている...

第3段 逃げ水

不思議といえば、逃げ水。
クルマを運転する人なら多分、何度か体験していると思う。
だいたい暑い日。坂道や曲がり角ではなく平坦な道で、直進100メートルくらい先が見渡せるようなときが条件。

行く手100メートル先に水溜りが見える。
ところが、少し先に進むと、それが跡形もなく消えてしまう。
道がまっすぐなら、もう少し先に、再度、現れる。
追いかけても追いかけても、追いつけない。
不思議なことに、その水溜りのすぐ先に先行車がいたりすると、そのクルマの後部がまるで鏡のように水溜りに映りこんでさえ見えるのだ。
しかし、その場所に行き着く前に、すべてが消えてしまう。
ほんとうに不思議な現象である。

これについては、

  1. 蜃気楼と同じ原理であること
  2. 光の屈折によるもの

という程度のことは学生時代に何かで知った。
が、他人に上手に説明するまでには至らない。

しかし、インターネットはとても明快な、素晴らしい説明を提供してくれている。
それが、以下。

逃げ水の現象は蜃気楼と同じ原理です。

道路が日光で暖められると
地上付近と、そのちょっと上の部分で
空気に温度差が生じます。
このとき、屈折と同じ原理で光の進行方向がゆがみます。
(空気の温度によって屈折率は変化します)

この状態で道路の表面を見ると、その地点での
上空のから像の光がゆがんで視界に映りこんでそれが
水溜りのように見えます。
もちろん、本当に水があるわけではないので
水がみえたところの近くに行ってもそこには何もありません。

これが逃げ水です。

笑顔

注意)これは、下記サイト(NAVER)掲載文からの転記であり、わたしの著作ではなく、rapid811氏のものであることをここに明記しておきます。rapid811様 NAVER様ありがとうございます。
NAVERサイト(ただし、2010/1/1現在、当該記述が見当たりません)


さて、わたしが不思議体験をすることなどわずかしかないのだが、その少ない現象のひとつである逃げ水にも、こんなにも科学的、明快な解明がなされてしまう。
少し寂しい気もするが、それにもかかわらず、逃げ水に関して、わたしはさらに、科学的に解明されていない次のような「不思議」感覚を抱いているのだ。

それは・・・・。

逃げ水は暑い日に起こる。空気の温度差というが寒い日には決して起こらない(見たことがない)。

暑い暑い日に限ってなぜ、それが水溜りのようなオブジェになって見えてしまうのだろう。

暑い日と水溜り。

わたしのいわんとしていることがわかるだろうか?

砂漠とオアシス。
といえばわかるだろうか。

なぜ単なる白い服とか雲とか虹とかなどではなく、水溜り=オアシスに見えてしまうのか?

なぜ、暑くてのどがカラカラになっているときに、水のまぼろしを発生させてしまうのか?

この皮肉ないたずらはいったいだれがプロデュースしたのだろう。
それは、熱と光と偶然だ、なんてそんな野暮は言いたくないなあ。

オーロラなどは科学的解明だけで十分だ。
琵琶湖や魚津の蜃気楼もなるほどでいい。

しかし、この小さな逃げ水は、大きな蜃気楼やオーロラなどより、わたしにとって不思議の度合いがまるでちがうのだ。

「皮肉ないたずら」の解明をだれかしてくれないだろうか?

(04/09/18)

後日談
寒い日には決して起こらない、などと記述してしまったが、なんと真冬に逃げ水を体験してしまった。真冬と言っても3月初旬ではあるが気温的には冬である。
確かに日差しが多少強めだったとはいうものの、ノドがからからになるというほどの気温ではない。これでは、本段の趣旨が意味をなさなくなり、瓦解してしまった。
単なる逃げ水の解明を紹介しただけに過ぎない。
意気消沈である。

(06/03/05)追記

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逃げ水(映りこみ)

解像度が悪くて恐縮ですが、映りこみが見えませんか?
(クリック拡大できます)