利根町の鎌倉街道 目次
交差点2 直進ルート
これは、ルート9 と呼びます。
いよいよ利根町に残された鎌倉街道跡もこのルートが最後。
でも、このことは後で分かったこと。
最初の探索時には、これから紹介する道も、果たしてどこまで続いているのやら?
とドキドキしながら歩きました。
交差点2から直進するとどこにたどり着くか。その回答はここにあります。
右の立札は「ハチにちゅうい」。立札方面は鎌倉街道−5で紹介しました。
今回は直進コースです。進行方向左手に大きな木のツルが見えます。
これは年代モノですね。
ヘビ、大蛇みたいです。
やはり、藤、なのかしら?
藤だとしたら初夏には
花が咲くのかしら?
タヌポンはどうも
植物関係は不得意です。
宿題ですね。
ツルのある場所を過ぎれば、実はもう現存の「利根町の鎌倉街道」はほぼ終点に近づきます。
上左の写真では、右手のほうは竹藪が鬱蒼としています。こんなところに何かあるとは当初思っても見ませんでした。
ところが、『利根町史』に記されている「四社明神の石祠」がどうも見つからないと言っていると、またしても・・・。
根本さんが、この近隣の人たちに尋ねて、どうもこの竹藪の中にあったような、ということで、新発見です。
四社明神の石祠発見!
「発見!」といってもタヌポンの力ではありませんので、念のため。
ここは上の通路より2メートルほど下。
手前から新たに道をつけていただき
崖下の石祠を見ることができるように。
ここまでくるためには、
何人もの人の労力と時間が必要です。
感謝するしかありません。
石祠内部は、上部に辛うじて「四社」が読み取れるかどうかというところ。地元の人たちの情報がないと断定できません。
『利根町史』によれば四社とは「天照大神・武甕槌神・経津主神・水分神もしくは大己貴尊および住吉大神」ということです。
『町史』では、昭和15年長塚氏建立とありますが、下の左右側面は「昭和廿五」「昭和二十五年長塚氏建」とあります。
吉浜正次氏の説によれば、押戸船津の守護神なりとか。ここに置かれたのはそのせいでしょうか。
本体: 高70cm、幅40cm、厚45cm。
(17/12/23 追記) (撮影 16/06/11・17/08/02)
ついに行止りとなってしまいました。
目の前はガケです。下に押戸の町が見えます。
※季節によっては樹木の繁茂により前方の視界が悪い場合もあります。
ムリにガケを降りようとすれば降りられるかも知れませんが、
もっと身軽でないと危険ですね。
それに、おそらく民家の庭に行き着くのではないでしょうか。
不法侵入になってしまいます。
ここは、昔は船着場があったとされています。
こんなところに川が流れていたのですね。
随分水位が高かったわけです。
遠くに見えるのは・・・
筑波山ですね。
(クリックすると拡大できます)
最近は、崖付近に、
樹木が生繁って、こんな感じ。
見えづらいです。
(10/12/24追記)
(17/12/23・11/01/26・10/12/24・10/12/17 追記) (05/09/16) (撮影 05/02/26・05/02/27・05/05/02・07/05/05・09/03/27・10/12/23・16/06/11・17/08/02)