「狸囃子の科学的解明」を知る手掛かり。
それがもし身近なところでいろいろ聞いたり探したりしてみてわからなかったときは、
「最後の手段」というほどでもないのですが、方法は考えていたのです。
それが、つれづれ道草第2段 後半で紹介した、いまから何年か前の読売新聞の随筆です。
新聞社に聞けばなんとか見つかるのではないか、と甘く考えていたのです。
サイト開設以来、1ヵ月を経過しました。
家庭内でもそんな話をしているのですが一向にその真相がつかめるような出来事もなく、
また当の狸囃子にしても今年はピタリとナリを潜めているではありませんか。
また、先日、「牛久沼ドットコム」「龍ヶ崎・若柴の散歩道」作者の前田氏と初めて直接お会いする機会を得ました。
いろいろ有意義なお話を聞かせていただきましたが、最後のほうで前田さんのほうから、
「ところで、ほんとに狸囃子が聞こえるのですか」
と、わたしに尋ねられました。
「ほんとに?」と言われることは、すなわち、前田さん自身は、「狸囃子を聞いていない」ということです。
その後、もともと思いつくとせっかちでもあるわたしは、それでは・・・と、あることを考えました。
わたしの現在の勤務先は業種として読売新聞社とは深いお付き合いがありますし、読売新聞担当の社員もいます。
そこでいつも新聞社を訪問しているその担当者に頼んでみることにしました。
「ここ5年前から15年前くらいの間、おそらく日曜版、随筆、狸囃子という題名」という条件で
記事のバックナンバー等の検索ができるかどうか聞いてもらえないかと。
担当のN氏は快く引き受けてくれ、それから3、4日後、別の用件で連絡したときに、その結果を教えてくれました。
データとして検索可能なのは今から10年ほど前のものまでということで、
その中には狸囃子という題名の記事はないということです。
それ以前のものは縮刷版でひとつひとつ調べるしかない、とのことでした。
少しがっかりしましたが、やはりかなり昔の記事だったのかと思い、それ以上、頼むのも悪いので、
いつかわたし自身が新聞社にいって調べてみようかと思いました。
しかし、ここで突然、久しく会っていない大学時代の同級生I君のことを思い出しました。
かれは卒業後、読売新聞社に入社し記者になったのです。
余談ですが、I君は岡山県の出身なのですが、
このサイトのコンテンツですすきをとりあげた イントロの刺身1品目 の薄田泣菫も岡山出身、
さらに前田氏も岡山県、そして最近、面白いと読んでいる作家が岩井志麻子さんでこれも岡山県出身と、
いままで岡山にまったく縁がなかったのにこれはなんという不思議なシンクロニシティでしょう。
新幹線で素通りしたことしかない岡山ですが、こんど一度旅をしてみるとなにか発見があるかも知れません。
なにか不思議な予感がして、唐突だったのですが、彼にメールをして見ました。
そのときはくわしくは話さず、ただ検索で今度は題名だけではなく狸囃子関連のものが見つかるかどうか、
の問い合わせをしただけだったのです。
まあ、何日か経って「突然何だ、これは?」という電話が先にくるものだったと思っていたのですが、
なんと、1時間ほどしてすぐメールでいまから過去10年程度の検索結果を知らせてくれたのです。
以下、そのメール本文を紹介します。
(I君、曰く) Iです。「狸囃子」で出てくるのはこれがすべて。どれだ?
- 2004/10/13 [アトム日記]童謡に秋感じた夜 同志社大・館林千賀子(寄稿)
- 2004/10/10 [アトム日記]歌うと秋景色が目に浮かぶ(寄稿)
- 2004/06/06 [日曜の広場]歌 母のきれいな声 自営業・筧春江64(東京都世田谷区)
- 2004/02/01 [よみうり文芸]2月1日=多摩
- 2002/10/29 笛奏者・寶山左衞門が新作 童謡、とつとつと純朴に
- 2001/09/29 [こころの風土記]紀行 中野市(長野県) 作曲家・久石譲さん
- 2000/10/27 「證城寺の狸囃子」の壁画完成 野口雨情の出身地、北茨城の磯原高で
- 2000/08/28 自慢の歌声、僕らも披露 左京でこども合唱祭 700人、成果存分に発揮
- 2000/03/05 日本の童謡を本に 鴻巣の原さんが116曲まとめ、自費出版
- 1998/08/08 [風](5)怪談の“演出役”今は昔 怖いのは幽霊より犯罪者(連載)
- 1997/09/21 [うた物語]唱歌・童謡 「証城寺の狸囃子」(下)雨情をしかった「和尚」
- 1997/09/21 [うた物語]唱歌・童謡 「証城寺の狸囃子」(下)雨情をしかった「和尚」
- 1997/09/14 [うた物語]唱歌・童謡 「証城寺の狸囃子」(上)戦後、英語版で人気
- 1997/09/14 [うた物語]唱歌・童謡 「証城寺の狸囃子」(上)戦後、英語版で人気
- 1997/09/07 [うた物語]唱歌・童謡 「あの子はたあれ」(下)「第二の故郷」に歌碑
- 1997/09/07 [うた物語]唱歌・童謡 「あの子はたあれ」(下)「第二の故郷」に歌碑
- 1997/01/05 [うた物語]唱歌・童謡 「砂山」(上)子供も歌える民謡調
- 1992/08/22 父と再開の満里子さん「証城寺の狸」歌う 思い出の童謡歓迎会
- 1992/07/15 [こちら社会部]マリコさんの近況ビデオ届く
これを見ると、「証城寺の狸囃子」関連以外は、どれもタイトルには「狸囃子」とはついていません。
記事のなかに出ているのでしょう。
少なくとも5年以上は前と思っていたので1から9はちがうでしょうし、
それ以降は証城寺の狸囃子関連が多くどうも該当作がないように思います。
いちばん古いのが1992年で、それ以前はないので、やはりこれ以前の検索不能なものかなと思い、
お礼かたがた再度彼にメールしました。
この中で強いて言えば10番ぐらいが可能性あるけれどどうも違うようだということや、
ほんとうに知りたいのは「狸囃子」を科学的に解明したそんな文章が載っているものだ、とか、
わたしのサイト開設の話もここで初めて知らせました。
それから3時間ほどしてまたメールが届きました。
すると、それはやはり10番目の記事の詳細でした。
(以下、彼からのメール本文を抜粋)
> 要は、「狸囃子」というちょっと不思議な現象を、これは・・・・のせいでこんな
音が聞こえてくるのだ、 という科学者か教授などの随筆だったような気がする。こ
ちらが知りたいのはその科学的説明部分なのだが・・。(これはわたしからI君へのメール文)> 10. 1998/08/08 [風](5)怪談の“演出役”今は昔 怖いのは幽霊より犯罪者(連載)
↑ つまり、これだろ?間違いないよ。その「科学的説明」が載っている。記事全文と写真三枚を添付しておく。
え?ほんとにこれ?
1998年8月って今から6年前? そんな最近だった?
と、半信半疑で添付文書を読んだのですが・・・。
以下、その記事を全文転載します。(当然、著作権は読売新聞社?にあり、わたしではないことをここに明記しておきます)
[風] 怪談の“演出役”今は昔 怖いのは幽霊より犯罪者
風が吹けば、おけ屋がもうかるだけでなく、お化けも出る。
江戸末期。稲穂の風になびくころだった。現在の墨田区南西部にあたる本所で、夜ごと祭りのおはやしの音が聞こえてきたという。
ある時は近くから、あるときは遠くから。だがいくら探しても、どこから聞こえてくるのか分からない。奇怪なことだとうわさになった。「本所七不思議」の一つ、狸(たぬき)囃子(ばやし)だ。
「戦前までの本所は夜になると静かで真っ暗だった。この話には実感がありますよ」。同区教育委員会の文化財・郷土文化資料館調査員、小島惟孝さん(63)は言う。
小島さんは本所と北十間川を隔てた向島の生まれ。小学生のころは冬のうんと寒い夜、荒川区南千住の操車場の線路のきしみがすぐ近くのようにはっきりと聞こえた。昼間なら遠くて聞こえるはずのない不思議な音だった。
本所周辺の江東、葛飾区では昔からおはやしが盛んだった。「ふだんは聞こえない遠くの音が風に乗って、ひょっと響いてきたんでしょう」
今も昔も吹く風に変わりはない。“不思議な音”が聞こえなくなったのはなぜなのか。「妖怪(ようかい)の民俗学」などの著書がある神奈川大の宮田登教授(61)に解説してもらった。
かつてはあちこちに風に出合う場所があり、人にはいろんな風を感じたり聞き分けたりする能力があった。例えばそんなに強くはないが、生温かい妙な風の吹く場所がある。昔の人はそこを通ると「風が体に取りつく」と言って恐れ、「魔風」「場風」「魂(たま)風」などと呼んだ。
悪霊や魔物、神が往来するこの世のものではない空間。風に取りつかれた人は、異常な状態になる。今もこの感覚は「風邪を引く」という言葉に残っている。邪悪な風を引き寄せてしまうのが病気の原因と考えたわけだ。
宮田さんは「風がウイルスを運んできて風邪を引くわけだから、あながち間違いじゃないでしょう」と言う。
戦後。環境が人工的に作り変えられ、自然はコンクリートの下に押し込められた。人は風に鈍感になってしまった。
だが、怖い話がなくなったわけではない。近ごろolの間ではやっている怪談はこんな風だ。
一人暮らしの女性の家に夜、女友達が泊まりに来た。家に着いてドアを開けた時、女友達が「コーラを飲みたい」と言う。 「え、今すぐ飲みたいの?」。女友達はどうしても飲みたいと聞かない。
仕方なく一緒に近所の自動販売機まで行ったが「ここじゃだめ。もう少し先の自動販売機へ」と言う。その繰り返しでどんどん歩いて行くと交番があった。女友達が駆け込んで警察官に訴えた。「今友達の家に行ったら、ベッドの下にカマを持った人が潜んでいたんです」
女友達は部屋に入ったとたんカマを持った男を見たのだが、騒ぐと殺されると思って「コーラを飲みたい」と言いながら交番まで行く口実を作ったわけだ。
会社員の伊藤裕美さん(22)は、友達からこの話を聞いてぞっとした。「幽霊よりも変質者の方が生々しくて本当に怖いと思いました」
風のありようが変わって、怖さのありようも変わってしまった。かつての本所のつじに立っても、もはや何も感じることは出来ない。ただ、風が吹いているだけだ。写真1=かつて本所ではどこでも「狸囃子」が聞こえてきたという(墨田区太平で、清水健司撮影)
写真2=本所七不思議の一つ「狸囃子」を描いた明治時代の錦絵(岡多国輝作)
(写真1.2はここでは省略します)
ああああ、確かにこれだったのかも知れない。んんんんん・・・。
しかし・・・・。
しかし、これでは、科学的解明にはちょっと・・・。
音源がない深夜2時ころに聞こえる狸囃子のことが説明がつきません。
ここに登場される教授の宮田登氏も失礼ではありますが、
物理学や科学の先生ではなく妖怪学では・・・と少し不満が残るのです。
「かつてはあちこちに風に出合う場所があり、人にはいろんな風を感じたり聞き分けたりする能力があった・・・」
かつてではないのです。いま、超能力などないわたしと家族が現実に聞いているのです。
「ふだんは聞こえない遠くの音が風に乗って、ひょっと響いてきたんでしょう」
というのも、現実にその時間に多少遠くても囃子をやっている場合です。
昼のお囃子が何時間も遅れて真夜中に風に乗って遠くまで運ばれていくと考えるのはどうなのでしょうか。
ちょっと失望です。
ですが、これでよかったのかも知れません。
「狸囃子のきこえる家」というタイトルで開設したわたしのサイト。
わずか1ヵ月でメインテーマが消えてしまうのも困りますから。
それと足で調べずに、安易に身近な人に聴くだけでは努力が足りません。
今後は、みずから大学教授などを訪ねて聞いてみることにしましょう。いつになるかは分かりませんが。
もうひとつ、この1998.8.8は調べてみると土曜日なのです。
当時土曜日にも特集ページはあったのでしょうが、わたしが記憶しているのは日曜版で、
下から2、3段目で都合全3段くらいのスペースだったように思います。
I君は、データベースになっていない1984年以前のものも実は調べてくれていて、それでもなかった、と言っているのですが、もしかすると見逃しているかも・・などとまだ諦められない気持ちもあります。
この件がきっかけで久しぶりに彼と会って一杯、やろうということになりました。
そして、数日後、何年かぶりの再会のときに、彼はもう少し調べてみるよ、とも言ってくれました。
まあ友人ばかりに頼らないで少しずつ自分で調べてみようと思っています。
それにしても「狸囃子」が聞こえないなあ!
(04/10/29)