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神代の物語10. 神武東征

(じんむとうせい)
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統一国家を目指して神武天皇がいよいよ日向を出発、東征を開始

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  • 神武天皇は最初は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)と呼ばれていました。それがなぜ神武天皇なのかというと、これは諡号(しごう=おくり名)といって亡くなったあとに付けられたものだからです。つまり戒名(かいみょう)ということですね。中国古代からの習慣にならったものです。
    また、東征とは現代日本での東国である関東や東北ではなく、この時代では九州中心の天皇家にとっては近畿地方までを指したものになります。
  • 神武天皇は15歳で太子となりましたが、実は彼は鵜葺草葺不合神の第4子であり上に兄が3人もいます。この兄たちを押しのけて太子となった理由はよく分っていませんが、とくに跡継ぎ争いはなかったようです。事実、東征の間、3人の兄は神武天皇に随行し文字通り命を懸けた働きをしました。
  • 神武天皇45歳の時、塩椎神から聞いた「青い山が取り巻いた東方の土地」、天下を治めるにふさわしい土地を目指します。3人の兄と共に、3代続いた日向(ひむか=宮崎県)の地をあとにし大和へ。ここに長い東征の旅が始まりました。
  • まず海路で日向から筑紫(福岡県)の宇佐、岡田宮、安芸(広島県)の埃宮(えのみや)、吉備(岡山県)の高島宮を経て、難波碕(なにはのみさき)から河内草香村(日下村=大阪府)の青雲白肩津へ。そこから上陸し、胆駒山(生駒山)を越えて大和に進入しようとしましたが、孔舎衛坂(くさえのさか)で土地の豪族である長髄彦(ながすねひこ)の激しい攻撃を受け、一時撤退を余儀なくされました。この時に流れ矢が長兄の五瀬命(いつせのみこと)に当たり大怪我をします。
    注)難波碕は潮流が速かったので後に浪速と名付けられます。
  • 神武天皇は、「日の神の子孫である我々が日の出の方角に向かって戦うのは、天道に逆らうものだった」と深く後悔し、これ以上進むのは止め、今度は大阪湾を南下し、茅渟(ちぬ=和泉)の山城から紀の国の雄水門へと上陸し、そこから竈山(かまやま)へと方向転換することにしました。しかし、この途中、重傷の五瀬命はとうとう息を引き取ってしまいます。
  • その後、神武軍は名草邑(なくさむら)に到着し、名草戸畔と言う女賊を征伐しました。次に、狭野を越えて、熊野の(みわのむら)に着き、天磐盾(あめのいわたて)に登りました。そこから海を渡ろうとしますが暴風に遭い、こんどは次兄の稲飯命(いなひのみこと)、そして最後の兄の三毛入野命(みけいりのみこと)をも失ってしまうのです。
    注)2人の兄はまるで暴風を鎮めるための生贄のように荒海に飛び込んでいったとあります。
  • やっとの事で熊野の山中へとさしかかった神武軍の前に待ち受けていたのは、巨大な熊でした。どうやらこの土地の神の化身した姿のようで、毒気を吐き、神武軍を怖気させます。これを天界で見ていた高御産巣日神と天照大神は援軍を送ろうとしましたが、武甕槌神の提案で、霊剣布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を降下。これが熊野に住み着いていた高倉下神(=天香久山神)の夢枕に現れ、高倉下神はこの剣を神武天皇に献上します。これで、神武軍は元気を取り戻し、豪族を破ることができたのです。
  • さて、戦にしろ行軍にしろ土地勘というのも重要な要素。それのない神武軍はたちまち道に迷ってしまいます。しかし、今回も天界から助け舟。呼び出されたのは賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)。彼は直ちに3本足の漆黒の烏に変身、東征軍の頭上へ。 神武天皇はこの不思議な神の鳥を水先案内人とし、その後に続くようにと命令を出します。鳥の導きのおかげで、神武軍は無事に山越えを果たし、宇陀に向かいました。これにより賀茂建角身命は天皇より八咫烏(やたがらす)の称号を拝します。
  • 次に向かった宇陀の地は兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)という兄弟の豪族の頭が治める地でした。兄宇迦斯はおとなしく神武天皇に帰順するふりをして宴会場に罠を仕掛けます。会場に入ると天井が落ちてくるようになっていたのです。ところが兄宇迦斯と仲が悪かったのかどうかは分りませんが、弟宇迦斯は事前にこのことを神武天皇に密告します。そうとは知らぬ兄宇迦斯は天皇に「先に中に入ってみせろ」と問いつめられ結局、自分の仕掛けた罠の天井に潰されてしまうことになります。弟宇迦斯はなんとかうまくとりいって生き延びたようです。
  • さて、いよいよ大詰め。大和まで攻め込んだ神武天皇は、長兄五瀬命の仇である、長髄彦と対峙することになります。最後の決戦、凄絶を極めた戦いも、次第に長い遠征に疲れた神武天皇の軍にとって思わしくない方に傾き始めました。神武天皇に残されたのは最期の突撃。その覚悟を決め、天を仰いだそのとき・・・。遙か彼方の空から金色の鵄(とび)が飛来し、天皇の持つ弓に着地。それが、稲妻のように光り輝きだしたのです。これには長髄彦軍の兵士は皆、目がくらみ戦意を失い敗走してしまいました。
    注)このときの金鵄は金山彦神が生み出したものとも言われています。
  • 神武天皇の決定的な勝利に貢献したのは、このとき態度を豹変させた敵方の饒速日尊(にぎはやひのみこと)です。
    実は彼は、神武天皇の東征の前から天照大神からの命を受けて、長髄彦のもとに身を寄せていたのです。天照大神からは十種の神宝(とくさのかんだから=天璽端宝=あまつしるしのみずたから)という特別な霊力をもった宝玉、神剣などを授かっていました。長髄彦のもとにうまく取り入った饒速日尊は、その妹登美夜須毘売(とみやすびめ)と結婚して宇摩志麻遅神をもうけるなどしてすっかり長髄彦の信頼を得ていたのです。
  • 饒速日尊が十種の神宝のひとつ、八握剣(やさかのつるぎ)を一閃し長髄彦の首を切り落としたという説や、降伏をうながしたという説もありましたが、いずれにせよ、饒速日尊が自らの血筋に近い神武天皇側についたおかげでこの長い戦いの終止符が打たれました。
  • かくして大和国は天皇家の統治するところとなり、神武天皇は悲願の「青山をめぐらす東方の地」を手にしました。3人の兄を失うという犠牲はありましたが、これは邇邇芸命の天孫降臨以来の統一国家樹立の達成された瞬間でもあります。
    神武天皇は、大和国の橿原宮で即位し、神日本磐余彦命火火出見(ほほでみ)天皇となりました。天皇は137歳で没すると、第3子の神沼河耳命が第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)に就任、このあたりからそれまでの神話が俄然、現実の人物の物語としての性格を強くしていきます。

(05/06/30)

神代の物語11. 大八島国平定(おおやしまこくへいてい)へ続く。