じぶん探訪

遠出はできないと思っていたけど、一生に一度はね。ということで。

TOPページわびさび写真館>じぶん探訪その7-1

その7-1.イタリア紀行T 「出発前の暗雲晴れて」

☆この旅行は2009(平成21)年4月初旬のものです☆

仕事にひとつの区切りがついたときには、妻を海外旅行に連れていく。そんなことが暗黙の了解となったまま、いたずらに年月がすぎていく。それがふとした家庭環境の変化もあって、また、もうこの機会を逃すとお互いの体力がもたないのではという危惧から、2009年初頭からにわかに現実の話になってきたのである。おりしも、前年秋からの100年に一度という不況のさなか、普通なら海外旅行などちょっと違和感があるところだが、そんな時期にそれが現実味を帯びてくるのがわが家の特殊性である。もちろんそれは、リッチであることとは正反対の性格のものだが。また、円高や輸送コストの低減というのも追い風となっていた。とはいえ、余裕があるわけでもないのに、当初、妻と2人でというのがごく自然のきまりであったが、なにを思ったのかわたしは、
「じゃY(娘)もいっしょに行くか?」
経費がすべて親もちなら、娘に異論があるハズはない。よくよく考えてみれば、娘の分の予算をプラスして当初の夫婦2人だけで行くとすれば、それだけ充実したツアーが楽しめたわけだが、なぜかそのときはそう考えなかったのが不思議である。

行き先をイタリアにした理由

行き先であるが、もうこれがわが家では最初で最後であろうから、ヨーロッパしかない。これは家族で一致していた。わたしはすでに仕事で、ヨーロッパではパリ、マドリード、ロンドンに行ってはいるが、妻はかわいそうにどこにも行っていない。娘にしてもそうである。わたしは自分のパリ初体験の衝撃から当初、少なくともパリだけは訪れるべきであることを主張した。むろん自分のためではない。わたし自身にとっては効率性からいえばパリははずし、まだ未開拓のイタリアほかが望ましいのだから。妻はドイツのロマンチック街道とやらに未練があったようだが、ドイツの当該地を加えるとそうとう規模が大きく煩雑になるので妻に断念させ、イタリア料理に興味を抱いていて本場ナポリのヒザが食べたいという娘の希望 (これは結局は叶えられなかったがその顛末は後ほど)もいれて、最初は、パリ+イタリアあたりで検討した。
しかし、そのプランでもなかなか日程や予算、またこだわった直行便がないことなどで、結局、パリを加えるのも断念することにした。最後のチャンスの妻のために、また娘の将来への影響のために、パリはぜひと思ったのだが、当の2人はいずれもそれほどパリにはこだわっていないのだ。なんたること、ひとがせっかく!そんなことなら、イタリアにしぼっていいよ。オレはかまわん・・・。(こんなふうに思うのは、わたしのほうがパリにこだわっていて、もういちど行きたいと思っていたからかもしれない)

出立前に暗雲。でも結果はまずまず

海外旅行計画に不慣れなわたしたちは、自分たちでのオリジナルプランニングを怠り、ミラノから入り、ベネチア、フィレンツェ、そしてローマというイタリアの主要4都市を含み、さらにオプションで、ピサやナポリ経由のカプリ島まで加えた旅行社御用達の既存の強行プランを採用してしまった。ものぐさなわたしは、自由行動が多いのはかえって面倒なので、あえてそこにオプションをつけ、ほとんどの日程をガイド付ベルトコンベア式に周っていられるほうがラクでいいと思ったのだが・・・。現地へ行って少し慣れたいまは、オプションをひとつはずしゆとりをつけると同時に、とくにローマをもう少し自分たちで探検してみたかったという思いがある。
ともあれ、訪問した前日はどしゃぶりだったというベネチアなどの天気を考えると、一度も雨に降られず、トラブルといえば妻が2度ほど転んで足をくじいたり、寝不足と疲労で母子ともども後半では夕食をオミットした程度で済み、まずまずの満足できる結果となったのは幸いだった。出立前の暗雲とは、以下。

暗雲その1、テポドン騒動

JAL417便

ようやく旅行の準備がだいたい整ってあとは出発を待つだけとなった1ヵ月前、とんでもないNewsが報道された。
「北朝鮮がミサイル発射施設で3段式のテポドン2号の改良型とみられる飛翔体の発射準備を進めている。発射予定は4/4〜4/8の間」

4/4〜4/8って、出発日がはいるじゃん!エーッ!どうなるの?

もう少し詳しくニュースを聞くと、これらの日は、日本(成田)からの国際線、とくに欧州線航路に影響が・・・って、モロじゃん!

なんでまた、よりによって、わたしたちの一生に一度しかないそんな大事な日を北朝鮮は選ぶの!?

耳を疑ったが、まぎれもない事実。さっそく、旅行社に問い合わせてみると、
「いまのところとくに本社から指示はきていません。だいじょうぶだと思います」なんて、なんかいい加減な答え。
それじゃあ定刻どおり飛行機は飛ぶの?ミサイル飛ばすかもしれないその日に?いくらなんでもそりゃあないよね。
また、こんなにびっちりスケジューリングされたプランを1日延期とか1週間ずらす、なんてことは恐らくできないだろう。
そうすると、キャンセルになってしまうわけ?
いろいろな意味合いで、これを秋に延期する、なんてことはわたしたちにはできない事情もあるのだ。
だいいちこうしたミサイル打ち上げなどというのは天災や戦争なんかと同様で、不可抗力のため飛行機が飛べなくなっても支払った旅費は払い戻しされないなんて、最悪の事態すら予想して、愕然としてしまった。そんなことはまさかないだろうが、せっかくここ数ヵ月、苦労してきた各種の調整がすべてムダになってしまう。

しかし、よくある北朝鮮のコケ脅かしに過ぎない、いずれ立ち消えになるものと思っていたが・・・。
とうとう発射予定日前日の4/3になっても依然として状況は変わらない。北朝鮮は発射を取りやめました、のニュースが流れない!
この間、旅行社はなんらこの件に関しての対応について連絡してこなかった。
その前に焦れたわたしは、JALのHPを調べていた。4/4〜4/8のヨーロッパ線は迂回航路をとる云々のコメントを出発の10日前くらいに発見してとりあえずはひと息ついてはいたのだが。しかし、JALがそうコメントしていることを旅行社のほうから先に利用客に伝えてほしかったなあ。

ともあれ、4/5に「その日」がきたわけだが、まさかほんとうに飛ばすとは思わなかった。
想像だが、日本やアメリカに何かせびっていたのが今回はうまくいかなかったので飛ばしたのかな?
でも、わたしたちの出発予定は4/8だったので、その3日前に、いちおう飛んだことでこの件は解決したわけだ。
4/7まで北朝鮮が飛ばさなかったら、4/8出発当日は、飛行機が迂回するとしても気持ち悪かっただろうなあと思う。
また、2発目という可能性も考えられたがそんなムダは北朝鮮もできないだろうし、とにかく出発当日以前に、事故もなく無事に済んでやれやれだなあ。
と思ったら・・・・!!!!
なんと、またしてもとんでもないNewsがテポドン発射の翌日、飛び込んできた。

暗雲その2、イタリアで大地震

ミラノ、ホテルでの地震被災地のニュース
現地では、連日、被災地のニュースが報道されていた。これは、4/8ミラノ到着時のホテルの一室で

おいおい、テポドンが終わったと思ったら、今度は地震かよ。

震源地・被災地は、イタリア中部。日程の最終訪問地ローマの近く、ということまで知り、また愕然!
ああ、これは、旅行に影響がないわけはないなと思った。正直、テポドンよりもダメージは大きかった。詳しくニュースを聞くのが恐かったし、旅行社に問い合わせるのもイヤだった。旅行社からもし連絡があれば、なんらかの不都合な事態が起きているものだと覚悟もした。
そうはいっても、娘が心配してどうせ調べるだろうと思ったので、仕方なくパソコンを立ち上げて情報を探ってみた。
震源地はローマの北東95キロ地点、ラクイラという地名。マグニチュードは6.3程度。

次の記述を見て、安心した。「ローマでも、すこし揺れを感じた」
ラクイラの人たちには申し訳ないが、なんだその程度かと思った。例えていえば、新潟地震のときの富山市あたりか。訪問地のひとつであるローマの遺跡やインフラにはなんら影響はないということだ。もっと離れているベネチア、フィレンツェなどはまったく問題ないわけである。
かくして、暗雲らしきものが立て続けに2種類、襲ってきたが、結果として何事もなく、出発できることとなった。ちなみに、日本と同様の火山国であるイタリアだが地震自体は少ないらしい。だから、耐震構造には程遠い石造り・レンガ造りの建物ばかりというわけだ。日本では中程度の地震でも大きな被害をもたらすことになるのだろう。出発自体は問題なくなったわけだが、今回の地震の余震が、現地に行ったときに起こるかも、ということを思うとちょっとイヤな気分ではあったが・・・(これはなんと帰国する前夜、ローマのホテルで深夜、現実に・・・)。

狭いシートから逃れて、シベリアを一望

シベリア

3月後半からダイエットを諦めたわたしは、JALのエコノミーの狭いシートに大いに苦労することになる。
数年前、ニューヨークに行ったときはANAだったのだろうか。もっと広かったような気がする。わたしのようなデブにはビジネスクラスでないととても長時間はしんどいのだが、ビジネスはほんとに割高だねえ。わたしはデブだから少々辛いが、もし普通の体型ならエコノミーで十分だと思う。席が広いだけであの値段は法外で、払う価値がない。先に乗せてくれる?そんなのどうでもいい。
トイレに行こうともがきながら席を立つと、窓からシベリアの凍土が見えた。ウラル山脈までもう少しの地点ではイタリアまでまだまだ道のりは遠いが、なんとか機体からこの景色を撮ることができたし、いっときの寛ぎにもなった。
そばでわたしより年配の人のよさそうなおじさんが、「昔はここをのぞいたりするとスパイ容疑でつかまったもんだ」という。いつの時代の話なんかいなあ。( イタリア紀行Ⅱ に続く)

(09/04/26) (09/04/08撮影=現地時間)