つれづれ道草

すべてはどこかで繋がっている...

第8段 4本の謎

前段で歌詞のイントネーションについて記したので、今回は方言の話をしてみよう。

「狸囃子」の件がきっかけで先日、久し振りに大学時代の友人と会った。(ついに文献発見!・・・参照)
彼は岡山県の出身なのだが、お隣の広島県とは文化等異なるのだろうが、近接しているわけだから、言葉については似ているのかも知れないと思い、ある事について質問してみた。
それは、数詞、の言い方についてである。

たとえば、鉛筆など、いっぽん、にほん・・・と数える。
これを4本まで試しに、数えてもらった。
彼は知ってか、知らずか、素直にこう答えた。

いっぽん、にほん、さんぼん、よんぼん・・・。

そうなのである。
広島地区では、よんほんをよんぼん、と濁って読むのである。
どうやら近接の岡山県でもそうらしいことがこれでわかった。

わたしはかなり前にこのことを何かで発見した。
どういう経緯で知ったかは覚えていないが、これはほぼ今まであった広島県人すべてに該当する。みんな例外なく「よんぼん」と答えるのである。しかも、わたしが聞くまで、それをずっと「日本全国統一の読み方」、つまり標準語と固く信じている人がほとんどだったのである。

これを東京に出てきて数年ほど経ちようやく「東京言葉」が板についてきたころの広島県人に試してみると面白い。
そう、ちょうど大学入学時から上京し卒業して職に就いたころなどが適当だ。いわゆる新入社員、広島県出身の新人に試してみるといい。
わたしの勤務先にも該当者がいた。仮にK君としよう。

「K君、鉛筆を1本、2本と数えてみてよ」
「なんですか?」
「いいから、言ってみて」
「えーー? 鉛筆ですかあ、いっぽんでしょ? にほん、さんぼん、でしょ?」
「そう、続けて・・・」
「よんぼんでしょ、ごほん・・・」

よんぼん、と言ったところで、予めこれを知っていたまわりの同僚たちはどっと笑う。
「K。おまえはやっぱり、広島県人じゃけんなあ」
「な、なんですか、どういうことですか?」
事情がわからないK君は頬を紅潮させて詰問する。このとき、ちょっと別のお国訛りが少し出たくらいだ。

「よんほんだろ、よんぼんはないだろう」
これに、えっ、そうだったのですかと答えるのかと思いきや、K君は猛烈に異義を唱えた。
「えーーーっ? よんほんなんてヘンじゃないですか。よんぼん、が正しいですよ」
余程のカルチャーショックだったのか、あわれなK君はなかなか自説を曲げない。
結局、多勢に無勢で真理を知らされ、少し傷ついたかも知れない。

しかし、よくよく考えて見ると彼の言い分も一理あるかなという気もした。

というのは・・・。

1本は「いち」の「ち」につくから撥音便に変化しやすいのでいちほんではなく [ippon] の発音になるのだろう。
2本はそのままだが、日本をにっぽんというように「にほん」もいつか将来にはにっぽんと訛って呼ばれるようになるかも知れない(まさか?)。
で、3本だが、これは「ん」のあとの f の濁音化でアルファベットで言えば「mb」のスペルに変化する。
「columbus」もその一例で「columfus」という言葉があったとしたら言いにくいだろう。「ん=m」のあとのfはbかpに変化しやすい。妊婦は言いやすいが妖精の nymph [nimf] はちょっと発音しにくい(でもスペルはfではなくちゃんとpになっているのが面白い)。

この論理から言えば、「よん」も次に「ぼん」と濁るのが必然ではないか。
これがK君の主張であろう。

うーーーん、考えさせられるなあ。
でも、4本はやはり、よんほん、なんだよねえ。どうしてだろう?
いっそのことあいだをとって「よんぽん」にしようか。というのは冗談で・・・じっくり考えてみた結果、こんなことを思いついた。

さんは、sam
よんは、yon

mとnの違いでこうなるのではないだろうか。
mの後では濁る、nの後は濁らない。

うーーん、そうだとすると、奥が深いね。
広島地区の4は、一般のyon ではなくyom ということなのかも知れない。

(04/10/30)

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