つれづれ道草

すべてはどこかで繋がっている...

第19段 苗字から妙字へ

地域の歴史を調べていて「豊島頼継」という武将を知った。
利根町の名刹、徳川家康とも縁のある「来見寺(らいけんじ)」を建てたことでこの地域では著名な人物である。もともとは名前の頼継を取って頼継寺(らいけいじ)と呼んでいたところを、家康の訪問によりそのような名前に変えたという(詳しくは タヌポンの利根ぽんぽ行「来見寺」 で)。

したがって、利根町の寺院を訪ねると来見寺だけでなく、豊島家の立派な墓をあちこちで見かける。人口2万人の小さな町だから昔からの名士の苗字は種類もそれほど多くはないようで、豊島氏はその筆頭のひとつと言えそうだ。
昔から住んでいる人だけでなく新興住宅地の人間もほとんど知己のないわたしだが、妻の話題にたまたま出た人の中に、一族の方なのかどうか不明だが豊島さんという人がいた。
妻は「とよしま」さんだったという。
ところが、豊島頼継の豊島はとよしまではなく「としま」なのである。
利根町に住む豊島さんは、「としま」も「とよしま」も混在しているのかどうか分らないが、もし押しなべて「とよしま」と呼ぶとしたら、面白いなと思った。

雨宮さんの話

そんなことを思っていると、同じようなことで勤務先で親しくしている同僚のことを思い出した。
彼は「雨宮」という苗字である。
初対面時に初めて名前を知ったわけではなく、辞令か何かでその字面だけは予め知っていた。
最初に話す機会があったとき、「あまみや」さんと呼んだ。
が、彼は「あめみや」ですと答えた。

わたしはそんな呼び方をそのとき初めて聞いた。奇異な感じがしたが、同時にとても新鮮な響きでいいなと思った。音便の変化等に拘らない元祖を守り続けてきた名前という印象もあった。なんでも山梨県富士吉田近隣に集中して多い名前なのだそうである。宮がつくから浅間神社関連の宮司を生業とする一族なのかも知れない。

そんなことがあって何年か経ったころ、地元の自治会の役員当番になり、たまたまその寄り合いで別の「雨宮」さんに出会った。周りの既にその方を知っている人々は彼を「あまみや」さんと呼んでいて、当の彼もそれについて付言しなかった。わたしは話題として同僚の「あめみや」さんの話をした。

すると・・・。

その「あまみや」さんは、話が終わったあとわたしのところに来て耳打ちする。
「実はね、わたしも本当は『あめみや』なんですよ。親戚も山梨に多いです。この地に来てみんなが『あまみや』と呼ぶので、いちいちそうではないというのも面倒だからそのままにしているんです」
そう言って「あめみや」さんはいたずら小僧のような顔をして笑った。

そう言えば、つりバカの伝助氏も最近は「はまざき」ではなく「はまさき」という当初の件はほとんどなくなったようだ。もっぱらこれは愛称1本ハマちゃんが定着したから問題ないが・・・。

苗字というのは生まれつき公理のように自らに付いてくるのだが、こうした小さな変化や呼び方の違いを見ると必ずしも硬直したものでもないという印象を受ける。

毒島さんの話

ビジネス関連でこんなこともあった。
昔、東映フライヤーズの3番打者で、毒島という名選手がいた。
実況放送でアンウンサーから初めてその名を聞いたとき、これはまたものすごい名前だなあ、と思った。
字も字だが、読み方もすごい。毒島と書いて「ぶすじま」と読むのである。
男だからいいもののこの家族で女の子がいたらさぞかし冷やかされるだろう、とマジで気の毒に思った。

ところが同じ名前の女性に会う機会がついに訪れた。
社の取引先の女性に「毒島さん」がいたのである。
初対面の時、彼女それはそれは恥ずかしそうに名乗られた。
しかし、その方はお世辞ではなく、とても清楚でしかも十人並み以上の美人。性格もとてもよさそうな方だった。
従って、「毒島」という苗字についても、その直後、その方を前にして堂々と話題にすることができた。
ホントにブスいや顔に不自由のある方だったらとても話題にはできなかっただろう。
もしかすると、日本の毒島一族は、必ず美男美人を配偶者とするという鉄則で臨んでいるかも知れない。
これは、意外とねらい目かも(何の話だ?)。

わたしの話

苗字では、わたし自身にもちょっとした話がある。
ここでは本名を名乗るつもりはないので説明がし辛いが、要はイントネーションの話である。
故郷にいたときとはまったく逆のイントネーションで東京で呼ばれることがいまでも多々ある。

たとえば、同じようなケースとしては・・・。
山崎という名前などがいい例かも知れない。
東京では「ま」にアクセントがある。
金沢では「ざ」にアクセントがある。
これは相当にちがう。試しに呼んで見てもらいたい。
東京アクセントはマスコミでよく話されているのでどの地区でも耳慣れているだろうが、「ざ」にアクセントのある山崎はとても奇異な感じに聞こえるだろう。

わたしの名前も、ほぼ山崎のケースと同様で、東京のある友人に何度訂正の抗議をしても、東京アクセントでわたしを呼ぶ。
いまはもう諦めてそのままにしているが、「あまみや」と「あめみや」ほどの違いはないにしても、当人にとってみればまったく別という感もあるのだ。

豊島さんの話

さて、冒頭の豊島にもどって。
もし現在の利根町に住む豊島氏のほとんどが「とよしま」と言い、しかも、それでも皆、豊島頼継の末裔だと仮定したら、どういうことなのだろうか?

どこかで、としま→とよしまの変換が行われたということになる。
もしそうだとしたら、それはいつ、何故か?

わたしはこんなことを想像して楽しんでいる。
また、少しずつ、真実が分かってきて、想像したことと同じだとするととても気分がいい。
例えば、次のようなことだ。

いまは余程のことがなければ改名などはできないというが、同じ字でもイントネーションが違えばぜんぜんちがうものに聞こえる場合もある。年月とともにそれらは風化もする。「としま」も「とよしま」もまた後年、その人気度は逆転するかも知れない。
妙な名前と思ってもそれほど拘ることはないのかも知れない。

でも所詮そのようなものであるなら、姓名くらい各自が自由に使えるハンドルネームでいいのじゃないかとも思う。
それこそ、苗字や姓という言葉など無くして、妙字というネーミングにしてしまえばいい。

銀行かなんかで、

「203番、タヌポンさん、どうぞ」

と言われると、いまはちょっと恥ずかしいが、そのうちだれも何も驚かなくなる日が来るにちがいない。

(05/10/24)

後日談: 2009年に豊島氏の子孫であられる豊島昌三氏と直接、お話しする機会を得ました。(10/02/01)

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