つれづれ道草

すべてはどこかで繋がっている...

第17段 ミステリーの美学

先日とても素晴らしいサイトに遭遇した。快く相互リンクを受けていただいたのだが、それはJOKER氏のミステリー関連のサイトであった。
ミステリーのことはこのコンテンツでいつか必ず取り上げるべき主眼のテーマだったのだが、いまだそれが成就されていなかった。
その理由は、本当にそれがわたしにとって大切なテーマであるからだ。
このつれづれ道草の序段で意味深な一行を記したが、そのこととも関連がある。

「すべてはどこかで繋がっている」

これについてはまだ説明するのは早いだろう。

それに至るまでの重要なテーマのひとつがミステリーであり、SFであり、ゲームとくにRPGであり、さらにトランプ、マジック、将棋、囲碁、物理、数学、生と死、複素数、そして美の追求と無限・・・なのである。

それらはわたしという存在がいかなるものかを探求する重要なアイテムなのである。

それなのに愚図愚図としているのは・・・その構成がまとまらず、またそれぞれの小テーマの追求がいまだ希薄なためなのであるが、さらにそれとは直接関係のない素人であるが故の、サイト構築の物理的な課題クリアのためなどに、時間を費やしてしまっているからでもある。

しかし、そうは言ってもそれらはなんのエクスキューズにもならないことをわたしは知っている。
今回のJOKER氏の好意は、わたしのサボタージュに鞭打つ天からのありがたい思し召しというしかない。

以上、いつもの長い前置き。

さて、好きなミステリー作家を5人と質問されて、少々困った。
こういう質問には、正確な答えを提出する義務にかられてしまう。それは先方の意思とは無関係でわたしの性癖である。
とにかく最近、読んでいない。新しい作家を知らない。
それなのにベスト5人をあげるのは辛い。好きな作家と聞かれているだけで、ベスト5を求められているわけではなく必要条件ではないことは分かるのだが、こちらの誠意としてはそうしたい。必要十分条件で答えてあげたいのにそうできないのが辛い。

で、結局、失礼ながら適当に見繕って、島田荘司、竹本健治、中井英夫、綾辻行人、森博嗣各氏らを挙げた。
しかし、絶対にもっと好きな作家および作品が、ほかに存在しているハズである。
こういうキチンとした回答ができないのが誠に遺憾というしかない。

また、前置きをしてしまった。
が、まだ前置きをしておきたい。

わたしはミステリーに関して自分なりの好みを言っているだけで、他人にこうあるべきだというつもりはまったくない。むしろ他人の嗜好も十分、尊重するほうである。この点、読んでいただいてわたしと意見が異なっても不愉快に思わないでいただきたい。
その上で、自分と嗜好・思考がよく似た人と出会うのはほんとうにうれしい。
どうやらJOKER氏はそんな人のひとりのように推察する。(でないと、回文というものにあんなにすぐに反応がこないものね)


急造の文であるゆえに・・・。
誰が何と言ってもゆずれないミステリーの条件。
そんなところから今回は話してみようか。

不可思議なことの解明。
疑問の解消。
そのための推理。
調査ではない、推理なのだ。
だから吉敷ではなく、御手洗になる。
お金と時間をかけて推理の材料を集めるのは美しくない。

名探偵の美学はアームチェアディテクテイブ・・・だ。(これは別に足の不自由な名探偵が好きだという意味ではない)
名探偵は調査などしなくていい。ワトソンや警部がはこんでくれればいい。

この点、クライマックスの直前で、探偵が2、3日、雲隠れして調査してきた、という件がよくあるが、あれは美しくない。わりと好きな作家の作品のなかにも時々ある。御手洗潔がそんなことをしてはいけない。額に汗を掻くのはいいが体の汗は知力を鈍らせる。

また、これに関連して論理を飛躍すると、ミステリーの映画化はあまり芳しくない。現実生活にあわせるとつまらないし、作りこむと幼稚に見える。(SFも昔は見る気がしなかったが、こちらはCGという技術によって素晴らしいエンターテイメント作品を生み出している。「富裕のそなた」などにはすっかり触手の湧かない、いや縁のないわたしなどの見る映画は最近はこればかりである)

また、社会派松本清張は読み応えがあり、映画になっても素晴らしいと思うが、わたしのいう本格ミステリーの範疇には入らない。

現実にあり得ない孤島でいいのだ。SFでさえなければミステリーの舞台設定はうんと凝ったものにしてもらいたい。どうしても映画を作るなら、ガウディを生き返らせて舞台美術を創らせたい。

なるべく奇想天外な舞台でパズル、マジックOKだが、きちんとヒントは付けてもらわないと解くことはできない。SFも大好きだがSFはSFとして別に評価するのは当然だ。オカルト要素でミステリーをつくることはありえないだろうが、ときどき偶然性を取り入れた作品があるのは困る。

わたしの年代での本格ミステリーとの出会いは探偵小説であり、江戸川乱歩であり、少年探偵団であった。
そこには「本格」だけでなく、心霊・オカルト・奇術・ホラー・・・すべてがそろっていた。

わたしは思うに、江戸川乱歩も同様に、自分の一生を、だれかがコントロールするRPGのヒトコマのように捉えていたのではないかと思っている。孤島への憧れ、押し絵に込めた人生、パノラマ島奇談などまさにかれはRPGのコントローラーを小説の中で弄くっていたにちがいない。迷路、ダンジョン、そんなものを創って見たいと思う人も多いだろう。それはなぜなのだろうか?

わたしとは、わたしというもうひとりのわたしが、わたしというもうひとりのわたしであるキャラクターをつくろうと、ウィザードリィのボーナスポイント50出現まで徹夜して準備したが、結局、出てこず(出たのにも関わらずすぐキャンセルしてしまったりして)ボーナスポイントわずか7の魔法をまだひとつも覚えていないアルケミストとしてこの世に生を受けさしたものかも知れない。

また本題から脱線してしまったが、要はわたしにとってこれらは皆、繋がっているのであり、あるひとつのことに帰結するのだ。

その話に至るまでは、ミステリー・手本引き・チェス・心理学・・・いろんなテーマでつれづれの段を、そうだな2、3百段ほどこなさないとだめかなあ。

読者への挑戦はやってほしい。材料は用意したことを明記して欲しい。
それで、解いてやろうという気になる。

竹本健治の頭が狂いそうになる匣のなか・・・はとても素晴らしい「質楽」であり、綾辻行人の昼夜館も島田荘司の南北半球相似トリック(・・・おお、荘司とは相似なのか!)もとても素晴らしい。

難解であればあるほど惑溺する。
難問でないと解く気がしない(なら、オイラーの定理を解けだって?・・・そんな頭脳はおいらにはありまへん)。

この世には偶然はない。
すべて必然である。
そしてすべてが美しい。

調査などしない推理。それが美しい。
美しくない芸術は芸術ではない。
ぴったり駒を使い果たして盤面に描いた詰め将棋。
真理はいつも美しい数式と定理。

わたしはときどき人知を超えたものを解きたいというパラドックスに行き当たる。

人知を超えた謎を美しく解いてくれる名探偵は果たしてだれか。

JOKER氏のサイトで推薦している未読の名作をさっそく読んでみよう。

(以上、JOKER氏に捧げる拙文、その1)

(05/05/14)

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