つれづれ道草

すべてはどこかで繋がっている...

第12段 メン食らった日

わたしがおのぼりさんになったのは18歳のころ、入試に失敗して御茶ノ水にある予備校に通うため三鷹に住み始めたときである。いわゆる浪人生であった。

三鷹から御茶ノ水までは中央線に乗る。ちょうど中間地点が新宿である。
午前中の講義が終わって帰りに新宿で途中下車し、よく昼飯を食べた。
三平食堂という安くて手頃な店がありよくそこで食事をした。
時々日曜日など新宿に遊びに行き、歌舞伎町でパチンコをしたりデパートをぶらつくこともあった。

とても悲しい思い出は、初めて伊勢丹の大食堂に行ったときである。1人だった。
入り口の案内で「ゲタ履きでもいいですか?」などと尋ねたときだったろうか。わたしは小さい時からゲタが好きで、当時はまだ都心の繁華街で履いていてもそれほど違和感はなかった。
→ 余談:つい先日かのように感じるが、あれから相当の年月が経ってしまった。もうだれもゲタなど履いていないし、わたし自身もかなり前から持ってすらいない。

デパートの食堂がそのとき初めてだったというわけではない。金沢でも大和というデパートがあり何回か母親に連れていってもらったこともある。食券の買い方がわからないとかそういうのではない。

わたしはそのとき焼きそばを注文した。
メニュー名にも単に「焼きそば」と書いてあった。
蝋細工のメニューには、当時はあまり好きではなかったあんかけ風の具がトッピングで乗っていたが、まあだいじょうぶだろうと思って注文した。ほんとは「茶色の焼きそば」がよかったのだけれどそれしかなかったのである。
ほかに洋食の定食もあったが、ナイフとフォークに当時はまだ慣れていなかったから、箸で食べられるものを選んだということもあった。
腹をすかせて待っているとようやく愛想のいい若いウェイトレスがやってきた。
「焼きそばですね?」とやさしく言いながらオーダー皿を置き、わたしの前の番号札を確かめてそれをポケットに入れ、微笑みながら立ち去って行った。
いい匂いがして腹がなった。

ナイフとフォークではなく、ちゃんと割り箸がついていた。
さて、と箸を割って麺をとろうと皿の下からすくうようにした。

えっ!

なんと、全部の麺が同時に持ち上がりそうになった。

「茹でてない!」
と一瞬、思った。

あわてて周りを見回した。だれも知らん顔である。
試しに麺の1本だけ取ろうとしてもどうしても取れない。
砕きほぐすようにして何本か取って口に入れた。
ああっと溜息が出る。
まるでクラッカーのようなパリパリとした舌ざわり。やっぱり「茹でてない」。

こんなものが食えるか!
どうしてなんだろう、茹で忘れたのだろうか?
わたしが田舎者だから、からかってみたのだろうか?とさえ思った。
わたしにとってそれは、インスタントラーメンの乾麺の上にあんかけうまにが乗ったものにしか思えなかった。

それは、当時ではまだ珍しい「固焼きそば」だったのである。
そんな存在をわたしはまったく知らなかった。

店の人に茹でてない!と文句を言おうか、と考えたがなんとなくイヤな予感がした。
また気の弱いわたしは、この大東京の有名デパートを相手取り不平を言うことなどとてもできなかった。

仕方なく上のトッピングだけ食べようかと思ったが、シチューなど牛乳関連の食品が当時は苦手だったので、麺といっしょならともかくそれだけを食べても少しもおいしいとは思えなかった。

で、わたしはどうしたのか?
そのままほとんど99%残したまま、伊勢丹の大食堂を出た。
そして、やはり三平食堂に向かったのである。

焼きそばと言えば縁日のソース焼きそばしか知らなかった頃のとても悲しい思い出である。
固焼きそばをおいしいと思えるようになったのはつい最近のことである。

ほんとうにあの時は、固焼きの麺に初めて出会い、まったく食べられなかったわけだが、それなのに「メン食らった」という一語に尽きる日ではあった。

(05/01/08)タイトル変更・加筆
(04/11/01)

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