タヌポンの利根ぽんぽ行 白山神社と四季の丘

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更新経過

2013年より石造物データをページ末に掲載するため
各コンテンツを順次見直ししていくことにしました。
このコンテンツでは、とくに後半の庚申塚の各石仏の詳細が未掲載でした。
今回、全石造物を再調査し、法量を測りがてら、撮影もやり直しし、
大幅に更新しました。(15/04/06)


白山神社は布川地区の西、南北に長く伸びた四季の丘地区の南にあります。
四季の丘は利根町でも比較的新しく整備された街区です。
この新興住宅地のなかほどにも大師堂と庚申塔のある一角を見つけました。
多くの庚申塔は区画整備のときに点在していたものをここに集めたのではないでしょうか。

なお、最初の訪問時より2年後に再び訪れると、白山神社は様相が一変していました。
当初は、ブロック積みの囲いのなかに本殿の石祠が置かれた素朴なものでしたが、
立派な本殿が新築されていました。同時に、敷地の柵なども整備された様子です。

当初、コンテンツタイトルを「白山神社」としていましたが、
四季の丘のその他の見所も含まれるため、目次等の修正の機会に、
「白山神社と四季の丘」に変更しました。(07/11/30)


布川地区マップ

白山神社は、マップの東南にあります。

白山神社

鳥居・全容

白山神社

5つの道路が交わる交差点ですが、
往来も少なく、見通しも良好。
信号もありませんしね。
その南の一角に白山神社があります。
神明系の鳥居(鹿島鳥居か?)です。
背後に本殿が見えますが、
以前は下のように石祠だけが、
ブロックで囲まれていました。

旧白山神社

本殿

白山神社

呼称は「はくさん」神社と思いますが、
「しらやま」神社の可能性も・・・。
それもそのはず、総本社というのが
石川県鶴来町の「白山比盗_社」で、
「しらやまひめじんじゃ」と呼びます。
全国には2700社余りの白山神社・
白山社があるということです。

祭神は全国共通の
菊々里媛命(くくりひめのみこと)。
創世の神話のなかで、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、
妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)の
赴いた黄泉国から逃げ帰ろうとし、
途中の黄泉平坂(よもつひらさか)で
その逃走を助けた姫神というのが
菊々里媛命です。

(狸の巻物 神代の物語2. 禊祓[みそぎはらえ]参照)

さて、本殿は、流造りと呼ぶのでしょうか。立派なものが建てられました。「白山神社」の額も付けられています。
拝殿兼用ですが、以前は、以下のように、本殿は石祠のみの姿でした。
背後のブランコもバージョンアップしたのか色が鮮やかになってます(笑)。

旧本殿石祠

旧白山神社

左は最初の訪問時の本殿で石祠が直に見えます。
この石祠に「白山」の文字が記されていました。(下左写真)

由緒沿革としては、
もとは布川字中戒善寺(廃寺)の隣に鎮座。
文政7年(1824)の大火で現在地に移設。
明治13年(1880)石祠が再建されたとあります。
祭礼は10月25日。(『利根町史』より)

石祠の裏にはたしかに再建の日付が記されていました。
明治十三辰年 九月吉日
明治13年9月・・・符合しますね。(下右写真)

現在は、新築の本殿内におそらくこの石祠が祀られているのだと思いますが、勝手に扉を開けて見ることは・・・。
→ 2015年再調査の時、なんとなく本殿扉を開けてみると(鍵ナシ)、鏡のようなものが・・・石祠はありませんでした。

石祠 石祠

参拝塔

伊勢西国参拝記念碑

ミニ遊園地のブランコの前に1基だけ、石碑が見つかりました。
すぐ前に本殿の台があるので、真正面から撮れません。
また、下部が土中に一部埋め込まれているので文字が読み取れません。

伊勢両宮四國参拝記念」と彫られていると思われます。
左下に小さく「昭和十四年□□」と刻まれているようです。
昭和14年(1939)の造立でしょうか。

ちなみに、伊勢両宮とは、伊勢神宮の内宮(ないくう)と外宮(げくう)のこと。
伊勢神宮とは、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の総称で、
現在ではいずれも伊勢市にありますが、
以前は内宮は宇治、外宮が山田と分かれていて、
神宮も内宮・外宮それぞれ独立色が強かったといいます。

この塔は、お伊勢参りに加えて、
四国は、おそらく金毘羅大権現の参拝をしたものと推定されます。

本体: 高68cm、幅25cm、厚14cm。

神木?

神木?

1本だけこのように立っていると、神木なのかなあと思いますよね。
植物の名前は精しくないので、いったい何の樹なのかも分かりません。
公孫樹ではなさそうだし、ケヤキともちがうような???

利根タブノキ会のかたにお聞きすれば即解決、なんでしょうが、
もう少し大きければ・・・。

それと、タヌポンはどうも「神木」のそもそもの起源を誤解していたような・・・。
神木とは必ずしも限られた1本の大樹というわけではなく、
神・神殿を囲む樹木を綜合したものを当初、神木としたとか。
このあたりは、時代の変遷も併せてもう少し調べてみないと・・・。

谷原集会所と大師

谷原集会所

谷原集会所

白山神社再訪問時に
本殿の新築に加えてもうひとつ
発見したのが近隣の集会所。
小路を入ったところに
ひっそりと建てられていました。

谷原の大師

集会所の脇に大師堂が見つかりました。番号は付いていません。

谷原集会所の大師 谷原集会所の大師像

大師像本体: 高24cm、幅20cm、厚13cm。

四季の丘の大師と庚申塔群

大師と庚申塔群

利根町は広い国道や繁華街が少なく、
したがって信号も多くはありません。
そんな数少ない信号機が、
わずかの距離に2基も並んで
付けられている交差点のひとつ、
その片隅にこれらを見つけました。

道路整備で仕方なく生じたような
3角の利用価値の少ないスペース。

四季の丘という団地を作ったときに、
昔から地区に散在していた庚申塔類を
この1ヵ所に集めたという感じです。

古い町の広報誌では、ここを
「馬場庚申塚」と記しています。
四季の丘が造成される前は、
ここも馬場地区だったのでしょう。

四季の丘の大師

ここにも大師がありました。番号は見当たりません。

大師堂 大師像
四郡大師巡拝表

左は、大師堂のサイドに貼られている地区毎の巡拝表。
撮影は、大震災直後の4月時でしたが、
ここにはすでに「東日本大震災被害者各霊位」の文字が
印刷されていました。

大師像本体: 高26cm、幅26cm、厚17cm。

力石

力石

堂の下にいくつか石塊があります。
中央のものは「力石」もしくは「さし石」と
呼ばれるものではないでしょうか。

それほど巨大ではなく、また刻銘もないので
判然とはしませんが・・・。

本体: 高19cm、幅54cm、厚54cm。

庚申塔1

大師堂右の庚申塔は、天皇陛下即位の礼を記念して平成2年(1990)に造立。造立月が表と裏で1ヵ月ちがうのは?

天皇陛下即位の礼記念庚申塔 天皇陛下即位の礼記念庚申塔裏面

[碑表]
庚申塔 平成二年十月二十二日

[碑陰]
天皇陛下即位之礼記念
平成二年十一月十二日
奉納

松浦平蔵石塚裕一武藤一男
中村永井一郎細谷秀雄
雑賀竹之助伊藤重雄大門盛幸
松浦清吉下山守一田部井
田中国弘渡辺弘夫新町有志一同
白井輝雄安斎良助

本体: 高113cm、幅61cm、厚12cm。
台石: 高35cm、幅109cm、厚64cm。

調べてみると平成2年の天皇陛下即位の礼で、国事行為としての祝賀御列の儀等は、11月12日に行われたとか。
裏面のほうが正しい日付で、表面はもしかして間違い?塔の造立日ということならそれはそれで問題ありませんが・・・。

馬頭観音塔

馬頭観音塔

上記庚申塔の前にある小さな石塔。
中央は、「馬頭觀世音」。
上部に種子がありますが、馬頭観音をあらわす「カン」ではないような・・・。
梵字はいつまでたっても覚えきれません。

右に「寛政九巳
左に「十月吉日」。
「寛」が少し欠損していますが、「安」政には9年はなく、
「文」政9年は「巳」年ではありません。
ということで、寛政9年(1797)10月の造立。

馬頭観世音については、羽中の観音堂「馬頭観世音」 参照。

本体: 高44cm、幅23cm、厚12cm。

道標

馬頭観音塔の背後、大師堂と庚申塔の間に、小ぶりの石塔が隠れるように立っています。道標のようなのですが、
上部一部欠損があったりして、現在の tanupon の力量では刻まれた文字が、断片的にしか判読できません。

道標 道標左側面 道標裏面

写真中央は左側面で、ここでは「」、写真右は背面で、左下に「布川」と読めるだけ。これではさっぱりです。

問題の正面の文字ですが、これも下に「」が分かるだけ。末尾に「二十丁」とあるのは読めます。
丁=町=60間で、1間は6尺で約1.8m。20丁なら約2km強ですが、この周囲のどこを指しているのでしょう?
もっとも、この道標がはじめからここに立っていたのかどうなのか。それによってはこの場所を基点として、
2km圏の目安の場所から、銘文を逆推理してもムダかも知れません。でも、気長にときどきこれを眺めていつか・・・。

本体: 高32cm、幅24cm、厚14cm。

▼ この追加コンテンツ作成途中、日ごろお世話になっていた方の突然の訃報を。
上記の不明な銘文を見ていただこうと思っていた矢先でした。大切な師を喪い、やるせない毎日です。(15/04/04)

庚申塔群

大師堂の背後にもたくさんの庚申塔が見えます。前面に2基並び、背後に全8基、円を描くように並んでいます。

庚申塔群 庚申塔群

背後の右端は、沖縄返還記念としています。沖縄返還と庚申塔の関係が tanupon にはいまひとつ?という感じがします。

庚申塔群

なお、前記 庚申塔1 と以下で紹介する塔を含めた庚申塔の総数は9基。
内訳は、文字塔が7基(「庚申塔」の文字塔が6基、「青面金剛王」が1基)、刻像塔(青面金剛)が2基となっています。

庚申塔2

庚申塔2

庚申塔群前面2基の左の塔。

庚申塔」の文字塔です。 「文政四巳年、「二月吉日
つまり、文政4年(1821)2月の造立。

本体: 高51cm、幅25cm、厚16cm。

庚申塔3

庚申塔群、前面にある2基の右が以下。

庚申塔3

本体: 高106cm、幅44cm、厚36cm。

青面金剛の刻像塔です。「奉造立庚申供養」とあり、もちろん庚申塔。
元禄二己巳天」「九月□□」、元禄2年(1689)9月の造立。

1面6臂の青面金剛の上にはお決まりの日月雲の浮彫、
三又戟・法輪などを手にしています。

塔の下部(下写真)をよく見ると、三猿のほかに、
小さな邪鬼を踏みつけている様子が分かります。

庚申塔3下部拡大

時念仏塔

時念仏塔

かつては馬場庚申塚と呼ばれたというこの地区。
これは、あきらかに庚申塔には見えません。

こうした「板碑型」の塔は寛文期(1661〜1673)の古い貴重なものが多いようです。
この塔も「寛文七暦丁未十月吉日」とあり、寛文7年(1667)10月の造立。

中央に禅定印を結んだ「大日如来」の坐像が線画で描かれています。
左に「時念佛一結之衆」、下に「六十八人」。
大日如来塔というより、「時念仏塔」と呼ぶのが妥当でしょうか。

本体: 高76cm、幅32cm、厚11cm。

庚申塔4

庚申塔4 庚申塔4左側面

左側面に「昭和二年十二月建之」、
すなわち、昭和2年(1927)12月の造立と、
比較的新しいのに、表面の風化が激しく、
もうしばらくすると剥落しそうな状態。

庚申塔」の文字塔であることを
いまのうちに記録。

本体: 高52cm、幅23cm、厚16cm。

十九夜塔

十九夜塔

庚申塔群に混じってもう1基、こんどはおなじみ十九夜塔。

奉供養十九夜念佛」とあります。

上部に種子キリークが記され、刻像されているのは、やはり如意輪観音でしょうか。
赤子を抱いているので子安観音ではないかとも思うのですが・・・。
→ 赤子ではなく「未敷の蓮華」でした。従って子安観音ではありません。

光背左上に「正徳四甲午年十月十九日
すなわち、正徳4年(1714)10月19日の造立。

墓碑など以外では、「・・・吉日」が多いのですが、
十九夜塔は、「十九日」と限定した造立日の記され方が多いです。
それゆえに、奉供養十九夜云々の刻銘がなくても、
造立日に十九日が明記されていれば「十九夜塔」と呼んでもいいとさえされています。

月は、とくに「十月十九日」が圧倒的に多く「九月十九日」が2番目くらい。
女人講によるものですが、女性であることと、
19日へのこだわりはどこからきているのでしょうか。

本体: 高65cm、幅34cm、厚18cm。

庚申塔5

庚申塔5

青面金剛王」の文字を刻んだ庚申文字塔。
上部に、日月雲の浮彫の装飾が施されています。

ほかに「寛政三辛亥」「十月大吉日」 「講中」「九人」が、
左右に別れて彫られています。
寛政3年(1794)の造立。

本体: 高61cm、幅28cm、厚18cm。

★ それにしても、利根町は「青面金剛」ではなく「青面金剛」の文字塔ばかり。
まだ集計をしていませんが、「庚申塔」の文字以外ではほとんど「青面金剛王」です。
というか、「青面金剛」だけの文字塔を見た記憶がありません・・・。
ほかの地区では、むしろ「青面金剛」が多いようなのに、なぜ?

庚申塔6

庚申塔6 庚申塔6左側面

庚申塔」の文字塔。
左側面には「明治三十三年十二月吉日」。
明治33年(1900)12月の造立。

台石から右にずれているのは、
3.11大地震の影響でしょうか。

本体: 高58cm、幅25cm、厚18cm。

庚申塔7

庚申塔7 庚申塔7左側面

これも「庚申塔」の文字塔。
左側面には「大正九年十月建」。
大正9年(1920)10月の造立。

本体: 高60cm、幅24cm、厚17cm。

庚申塔8

庚申塔8

1面6臂の青面金剛を刻像した庚申塔。
三又戟・弓・矢のほかショケラも提げています。三猿は見えませんが、
青面金剛の足もとには小さな邪鬼が踏みつけられているのが見えます。

下写真は、左から、右側面・左側面・裏面。
右側面には、「昭和七年滿州建国紀念」とあり、左には「昭和七年十二月建之」。
年号がだぶっていますが、昭和7年(1932)12月の造立。

裏面は、施主名か、15名列記。
□□泰助□□
海老原兵助□□
市平□□子之吉
海老原多満□□海老原寿
政吉□□西常太郎
雪三□□
重郎□□
良助

本体: 高61cm、幅27cm、厚20cm。

庚申塔8右側面 庚申塔8左側面 庚申塔8裏面

庚申塔9

庚申塔9 庚申塔9碑陰

石碑型の「庚申塔」文字塔。
沖縄返還記念」とあります。
沖縄の返還は、昭和47年(1972)5月15日。
裏面「昭和四十七年五月建之」と合致。

施主でしょうか、以下12名列記。
□□海老原
□□海老原彦太郎
□□□□□
□□□□□
西□□□□□
□□□□□

本体: 高82cm、幅40cm、厚10cm。
台石: 高24cm、幅67cm、厚25cm。


(15/04/06・12/04/04・07/11/30 追記再構成) (05/11/15) (撮影 15/04/05・15/03/26・15/03/25・11/04/15・07/08/19・05/08/20・05/07/17)


本コンテンツの石造物データ → 白山神社四季の丘石造物一覧.xlxs (14KB)