狸囃子について

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春いちばんの仮説

Columbus Blog(05/03/19)で思わせぶりなことを言っておきながら記述が遅くなってしまいました。

あの日、狸囃子を聞いたと記しましたが、その時点で「不鮮明」と記したとおり、
以前に聞いたものとは少々異なりこれこそという風に断定できないのが少々不満です。
でも「狸囃子もどき」程度は言えるかと判断しました。

風と一定の地域

結論から言うと、狸囃子は「風」のなせる業ではないか、というのがわたしの仮説です。

その根拠というのは、これもかそけき希薄なものなのですが、

  1. その日は風の強い日だった
  2. 読売新聞に掲載されたものも風が運んでくる現象としている
  3. 過去、わたし自身が鮮明に聞いたときも風の強い日だった(ような気がする)

ということがあげられます。

3月19日のその時の音は、とぎれたりまた少し強くなったりしましたが、
同時に風の音もそれに同調して数秒遅れなのかあるいは逆に数秒後なのかで強まったり弱まったりしていたように思います。
いずれにせよ終始、風の音が並行して聞こえていたという記憶があります。
しかし、そうした風の音の存在が気になったということは、
その反面、ポンポコといった前に聞いた鮮明な「狸囃子」とはちょっとちがうかなという思いがあったことも否めません。

いっぽう、風と今回の狸囃子と結びつけて考えた場合、それは、わが家を中心とした狭い範囲であり、
広い範囲でそれが聞こえているということについてもなぜか否定的な気がしました。

これにはとくに明確な論拠はないのですが、どうもわたしの家と近くを流れる利根川との距離感、
また、風の流れる道筋とその風量、風が通る過程での障害物と音の変化の関係、
そういったものがある特定のタイミングになったときに聞こえてくるのではないか、という気がしたのです。
もしそうであるなら、極端な話ですが、わが家のみがそれに該当する微妙な立地条件を満たしている、
ということも言える可能性もあります。
広い範囲では該当しない、というのはそういう意味です。

季節の考察からの仮説

ここで、また別の視点である「季節」ということに関して考察してみましょう。

今年(2005)の3月中旬は、春は名のみか風の寒さよ、というほどではないにせよまだ少々肌寒い日が多いようでしたが、
注目の19日がどうであったかというと・・・春何番かに当たる南風が吹いた暖かい日でした。

このことは注目に値します。

わたしの記憶ではいままで冬に狸囃子が聞こえたことはありません。
だいたい暑い夏の夜から秋だったように思います。

それはつまり北風が吹くような季節、あるいは日ではない、ということです。

またそれを言い換えれば、こういうことも言えます。
つまり・・・逆に、冬やまだ肌寒い今年のような春先であったとしても、
もし南風が吹けば狸囃子が聞こえる可能性があるのではないか、ということです。

そして大事なポイントはわたしの家で南風が吹くということはどういうことか、ということです。
わたしの家の南に何があるのか?

南には利根川が東西に流れています。
そしてその両サイドの道は家に近いほうは取手東線といい、また川向こうは国道356号線で、
割と頻繁にクルマの往来があります。

利根川を挟むこの2つの道路、あるいは利根川に架かる栄橋を通る千葉龍ヶ崎線上を走りぬけるトラック等のクルマの騒音。
ここに注目すると、狸囃子とは、それらのクルマの騒音がからんでいるのではないか。
しかもそれは単なる騒音そのものではなく、その発生源からわたしの家までの経路が重要で、
楽器で例えればフルートなどの管のような微妙な空気の層を通り抜けるようにして
あのような音になって聞こえてくるのではないだろうか?
そう考えたわけです。

いっぽうそれでは逆にわが家の北はどうなっているかというと、静かな住宅街が広いスペースで連なっています。
もし風に乗せられて狸囃子が聞こえてくるとしたら、なぜ北風の強い冬にそれが聞こえないのか?
それはわが家の北に狸囃子の音源となるものが存在しない、あるいはあっても遠いということが考えられます。

逆説

ここでひとつ、この仮説に敢えて自ら反論をしてみましょう。

泉鏡花が聞いた狸囃子は東西南北の立地は分かりませんが、それでも冬場は聞こえず、
わたしの場合と同様に夏から秋にかけて聞こえると言っています。
彼の体験した場所もたまたま音源が南にあったのでしょうか?

また、もし音源に対して風下の立地であればすべからく聞こえるというのなら、
わたしの家の近辺で言えば、川を挟んだ我孫子市布佐の住宅地では北風が吹く冬に狸囃子が聞こえるというのでしょうか?

さらにわたしの仮説に合致する場所・・・広く日本、いや世界中で、
単にクルマの騒音がある風下の地区という立地は無数に存在することになります。
そこではどこでも狸囃子が聞こえる、などということになってしまいます。

うーーーん。
これは明らかにちがいますね。

仮説と条件

しかし、クルマの騒音という音源の風下にある地域であるという条件。
それにさらに付け加えましょう、とくに南風が吹くという条件。
これは南に音源があるからという意味だけでなく、とくに「南」からの風が吹いた場合、と限定しておきましょう。
そして、この2つは十分条件ではなく「狸囃子」が聞こえるための必要条件であると。

そしてもうひとつ、それが何であるかは分からないのですけれど、何かの条件が必要なのでしょう。
それがもしかすると音が共鳴するための空間の体積と湿度などの性質、音の通る道筋の空間の曲がりなどの条件。

こうしたものが加わったときに、狸囃子が聞こえるのではないか?

しかし、この途方もないわたしの夢想的仮説がもし真実であったと仮定したとしても、
そんな細かい物理学的条件を定義付するのは至難の業です。何か方法があるのかどうか?

ただいずれにしても、音源としては、わたしの今回経験した「狸囃子もどき」だけで判断してみると、
それはクルマの往来の騒音なのではないか、という気がします。
(しかし、この点だけとりあげても、クルマ社会など登場していない明治以前の時代ならそれは何に当たるのかという疑問も別にあります)

とにかく、以前に聞いたような明確なる狸囃子を一刻も早く再び聞いて、
その時の風向き、気象条件などを見てみたいと思います。
いまのままではデータが余りにも少なすぎます。
次に聞こえたときには仮説にせよ、何らかの進展が図れるのではないかと期待しています。

でも、次にようやく聞こえたのが明らかな狸囃子の音だったとしても
「まったく風のないどろんとした日」だったらどうしたものかしら?

(05/04/01)