狸囃子について

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狸囃子が化けた音

昨年、このサイトを開設したときからだろうか、狸囃子が聞こえない代わりにと言ってはナンだが、
ある奇妙なもの音がわたしの耳に取り付いている。
それは深夜、わたしがパソコンに向かっているときだ。
かすかに耳に響いてくる。何かバネがルンルンと跳ねているような音。気持ち高くなったりまた聞こえなくなったり。
コンテンツの文章を推敲をしているときなど、急にその音が耳にまとわりついてくる。
というか考え事をし始めるとその音が鳴っているのに気づくというような感じなのである。

音源

そういう音が聞こえ始めて何日か経った頃、秋も深まった頃だったろうか。
手洗いに行くついでに部屋のなかを見回してその音源を捜してみた。
すると、なんとそれは壁にかけてある時計の秒針の音だった。
近くに寄って聴いてみるとけっこう大きな音を立てている。
この時計は自宅購入時に知人からいただいたものだからもう20年以上経過している。
その間、この時計の音など意識して聞いたことや、
ましてや秒針の微かな音など聞こえてくることなどは一度もなかったのである。

ここにきてそれが急に妙に耳につくのはどうしたわけだろう?
しかも、わたしはここ数年で、テレビのボリュームを2〜3アップせざるを得なくなっているのにである。
それは妻も同様でお互いに苦笑しているが、耳が遠くなり始めているのに、
以前聞こえなかった音が逆に聞こえるようになる、とはおかしな話ではないか。

生命を刻む音

こうしたことが起きて、時を同じくして何かで、こんなことを聞いた。
死期が迫ると残り少ない生の時間を刻んで知らすかのように時計の音が鳴り響くものなのだ、と。

そう言えば、いまは亡き父と成人したわたしが多分、温泉かどこかで一泊したときだったろうか。
そのとき父がこんなことを言っていたのを思い出す。
「置時計っていうのも布団に入って聞いていると結構、大きな音を出している。しかも、その音色がいろいろ変化するんだ」

そうしたことがあった直後に父がこの世を去ったわけでもないのだが、鬼籍の人を連想してしまうのにも、
何かしら今回の出来事がわたしの寿命に関わっていることなのかと感慨深い気持ちになった。

強いて、今回のことを科学的に説明しようとすれば・・・。

時計はリビングにある。
これまで深夜、そこにいた場合はテレビを見たり家族と話していたか、一人のときはほとんどゲームをやっていた。
エクスカリバーで魔王デスピラスを倒しているような別の高い効果音源に遮られて
秒針の音などかき消されてしまっていたのだろうと。

おそらくそうなのだと思う。
わたしより早く死ぬといってゆずらない妻がぜんぜん聞こえないというくらいだから、
この時計の音とわたしの死期とは(おそらく)関係はないのだろう。

ちなみに時計の音が気になる、といった言葉で検索すると・・・。
これで悩んでいる、神経質ではあるが少しも死とは関係のない若い世代の人も結構いるようだ。
こうした連続的な音は気にすると眠れなくなってしまう人も多いようだ。

でも、土日など家でパソコンに向かっているとき、割と静かなのに昼間はなぜか聞こえない。
決まって深夜なのである。

これは、もしかすると「狸囃子」そのものが化けた音なのかも。
そうなら面白いのだが。

(以上、「狸囃子」番外編2でした)

(05/03/01)