じぶん探訪

遠出はできないと思っていたけど、一生に一度はね。ということで。

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その7-3.イタリア紀行V 「お待ちドゥオーモ。ミラノ・ヨーロッパ」

いよいよミラノ観光だが、しかし、たった半日しかない。著名なところをすべて周れるはずはない。
わたしたちが観ることができたのは、以下の4ヵ所である。しかし、結果的にはそれで十分だった。
圧巻は最後に待っていた。

  1. スフォルツェスコ城(市立美術館)
  2. スカラ座
  3. ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア
  4. ドゥオーモ

旅行社提供のプランにしたがって進むわけだが、ミラノといえばわたしが唯一、暗記していた「サンタ・マリア・ディレ・グラッツェ寺院」はコースに含まれていなかった。それは、かの有名な「最後の晩餐」のあるところ。
旅行社との当初の話ですでにこのことを知ったが、理由等格別の説明はなかった。調べてみると、ここはとくにニーズが高いところ(当然だろう、ミラノでの世界遺産とはこれひとつだから!)なので特別な予約が必要という。となると、締切りまで人数等確定しないツアーではなかなかリスクの多い訪問先ではある。はじめから避けたのだろう。
ミラノでは自由行動の時間はないのでわたしたちは観ることはできなかったが、これから「最後の晩餐」をどうしてもという人は、ツアー等のコースに含まれていなければ、自由時間を確保し、自分で予約等(1ヵ月前が目安とか)していくことをお忘れなく。(いいものを得るにはやはり努力が必要だね)

ミラノの予備知識

前にもいったようにミラノはイタリアでも随一の経済産業都市。しかし、歴史的には、貴族に支配されたミラノ公国の時代に文化が花開いた芸術の都でもある。貴族といえば、1277〜1447にミラノを支配していたのが、ヴィスコンティ家。1450年代には、スフォルツ家がこれにかわった。
世界遺産の「最後の晩餐」の作者、レオナルド・ダ・ビンチは、ミラノ・フィレンツェで主に修行・創作活動を行なった。「最後の晩餐」は彼が43歳のとき着手した作品である。ほかに著名な人物といえば、「椿姫」「アイーダ」などのオペラ傑作を残したバロック時代の作曲家、ヴェルディがいる。

スフォルツェスコ城(市立美術館)

スフォルツェスコ城 噴水

ミラノでもっとも重要なルネッサンスの建造物が、このスフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)。
やっとここにきて、わたしは家族に「これがヨーロッパ」というものを見せることができてほっとした。もうこれ以降は、洪水のような圧倒的なローロッパ色に、こうした苛立ちは掻き消えてしまった。
1450年に、ミラノの公爵フランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築してそれが現在の姿として残っている。内部はミラノ市立の彫刻美術館としても公開され、ミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されている。

スフォルツェスコ城 スフォルツェスコ城・城門 スフォルツェスコ城・城塀 スフォルツェスコ城内の彫像

ミケランジェロ未完の大作、ロンダニーニのピエタ

ロンダニーニのピエタ

ミケランジェロが創ったピエタはいくつかあり、これは彼が死の直前まで彫り続けた第4のピエタ。この大理石彫刻は、1952年にここに収蔵されるまでローマのロンダニーニ邸の中庭に置かれていたことから「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれる。
►ピエタとは・・・ 死んだキリストを抱く母マリアの絵や彫刻のことをピエタと呼ぶ。
この美術館の目玉の作品で、左側に立っている棒状のものが最初の構想にあったイエスの右腕だとか、その位置に置くのは不自然な感じもするがかといって別のところにおくとかえってバランスが悪いのでそのままにした云々と説明があったが、こうした美術品には造詣が深くなく、世界史にも弱いわたしには、ふうん。

ガイドの説明

ところで、現地専用ガイドの説明もさることながら、この専用イヤホンはとても性能がいいね。かなり離れても鮮明に聞こえるから、聞きながら別のところで撮影したりすることも可能。もちろん日本人観光客も多いのだが、イタリアは世界の観光地、各国からの団体ツアー客も多く見られた。そんななかで、イヤホンなしで「さあ、皆さんわたしの近くに集まって〜(多分そう言ってるのだろう)」と汗をかきながら大声を出している外国人ガイドを尻目に、明確鮮明なガイドの説明を整然と聞けるのは、日本の先端技術のなせる業だなあと。あれっ、このイヤホン、中国製か?

内部のステンドグラス
内部のステンドグラス。
城内地図
城内古地図
石の砲弾
中庭にころがる石の砲弾

城内の市立美術館のパンフレット(The Castle Pinacoteca)

パンフレットの表紙 パンフレットの裏表紙

これは城内の絵画館のパンフレットの表紙と裏表紙(英語版。日本語版はなし)。全8ページ。中面6ページ分は割愛。 Pinacoteca とは絵画館の意。
(09/05/25追記)

スカラ座(ただし劇場内は撮影禁止)

スカラ座外観 スカラ座入口

正直いうと、オペラやミュージカルにはまったく食指の動かないわたしなので、スカラ座と聞いてもピンとこなかったが、ここは、世界でもっとも有名な、また世界最高の歌劇場のひとつである、ということらしい。
余談だが、オペラが一般的ではない日本でスカラ座というのは主に映画館の名前で、わたしの故郷にもそんな名の劇場があったが、それは18歳未満お断りの成人映画専門だった。というわけで、スカラ座には悪いがその名にはあまりステータス性を感じない。
ミラノのスカラ座では、どんな席でも背後から音が聞こえるなど素晴らしい等々ガイドがいろいろ説明していたが、肝心の劇場内は撮影禁止のため、このコンテンツをつくっているいまは映像と同様に記憶もすっかり消えかかっているような始末である。
なんの変哲もない建物外観、入口(写真上)と、以下、劇場脇の広間かなにか忘れたが、まばゆいシャンデリアのカットだけ紹介しよう。スカラ座には現在ロビーから入場できる博物館が付属していて、絵画や彫像、衣裳などオペラに関係する収蔵品があるということだが、このシャンデリアの部屋もそのひとつなのだろう。
(入口の写真にMVSEOとあるが、これはMUSEOすなわち博物館もしくは美術館の意味。イタリア語はさっぱり分からないが、古代ローマではラテン語であり、VとUの区別はなかったという。ここではラテン語を用いているのだろう)

シャンデリア シャンデリア

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガレリア(Galleria Vittorio Emanuele U)は、世界でいちばん美しいといわれるアーケードの名称。

ガレリアの意味がわからない?
・・・・・ガレリアとは、ガラス張りの屋根のある大きなショッピングセンターのこと。

では、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とは?
・・・・・イタリア王国(1861年建国)の初代国王の名前。
(これ常識なのかな。でもわたしは初耳に近い!教養ないね)

ガラスドーム フレスコ画 フレスコ画 フレスコ画

前述のスカラ座と次に紹介するドゥオーモを結ぶ十字型のアーケードで、ガラスドーム四隅には1857年に完成したフレスコ画が描かれている。これは4人の女神で、それぞれアジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパと当時の世界を構成する4大陸をイメージした寓意画となっている。(写真上: どれがアジア、アフリカ・・・なのか不明、また1種撮り忘れ)
►フレスコ画とは・・・fresco とはイタリア語で新鮮なの意。壁に漆喰を塗り、それがまだ生乾きの間(=フレスコの状態)で顔料などで描く技法。失敗すると漆喰を剥がすしかなく、やり直しがきかない。
天井のガラスを通して自然光が、このフレスコ画や床のモザイクを浮き立たせる優美な設計で、4階建ての建物の1Fにはグッチ、フェンディ、ルイ・ヴィトンなどの高級ファッションブランド店やバー、カフェ、レストランが優雅に立ち並んでいる。(写真下)

高級ファッションブランド店 バー
高級ファッションブランド店とカフェ ガレリア

☆ここの出店に関しては、黒地に金色のブランド名というデザインで統一されているようだ。ガイドの説明で知ったが、マクドナルドがここに進出するときに、トレードマークの赤は拒否され、このスタイルを守らされた。ほんとうはファストフードなど存在すら否定したかっただろうが、これは市民の利便性を考え百歩譲ったのだろう。イタリアの美意識に乾杯!
中国共産党はともかく、赤は好戦的、また商業的な色だ。シックなヨーロッパ調には合わない。エコノミックジャパンも自然の破壊ばかりでなく、美的センスを磨きたいものだ。

そして、ガレリアを抜けると・・・

ドゥオーモが見える

アーケードを抜けると眼前に見えてきた荘厳な建物。
でも、まだここでは、その屋上に上ることになるとは思っていなかった。

ドゥオーモ

ドゥオーモ

どうもお待ちどうさまと、ついいいたくなるが、ミラノの象徴とも呼べるこの建物が、ドゥオーモ(Duomo di Milano)。
500年近い歳月をかけて建てられた、訪れる人すべてを圧倒する繊細かつ華麗なゴシック教会である。

►ドゥオーモとは・・・・Duomo はイタリア語で、街を代表する教会堂のこと。語源はラテン語の Domus で、神の家の意。
ミラノのドゥオーモ着工は1386年、大司教アントーニオ・ダ・サルッツォとミラノ公国の領主 ジャン・ガレッツォ・ヴィスコンティの命により、聖母マリアに捧げるために建設された。場所は、古代からあったサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂だった。その後、度重なる戦役のため何度も中断する中、1813年、イタリアに侵攻してきたナポレオンによりようやく完成のときを迎えた。

ドゥオーモの屋上へ

ドゥオーモの最大の特徴は天に聳える135本の尖塔で、その天辺のひとつひとつに聖人の彫像が立っている。
また、柱や壁にはひとつひとつの表情が異なる繊細な3500体の彫刻がある。
それらを見ながら、観光客で混雑している回廊を抜け、階段を登りながら屋上をめざす。
ミラノ市内が一望でき、とても気持ちがいい。

尖塔の彫像と街の眺望 尖塔の彫像と街の眺望

そうとう歩いたような気もするが、まだ最終の階段が見えてこない。下右の写真に写っているのは、わたしの連れ、かも知れない。このドゥオーモの観覧はとても疲れたと後で言っていたが、よく登れたと満足感も。

時計の彫像 回廊は続く

この尖塔群の先に、どうやら登り階段があるようだが・・・。

尖塔の彫像 尖塔と飛び梁

屋上とマリア像

ドゥオーモ屋上

狭くて急で長い階段を登って、やっと屋上にでたのだが、降り口が別にあるわけでもないし、エレベーターに乗れるわけでもない。これまでの道を帰りはたどるだけ。ここまでにかなりの時間を要しているので、イヤホンのアナウンスでは、もうそろそろなんてせかされる。
このため、屋上に着いたと同時に、もう降りなきゃ、と妻に催促される。
以下の金のマリア像が、左の写真の左方頭上にあることをあらかじめ知っていたら、仰ぎ見て撮っていたのだが、ほとんど何も撮れずにあたふたともとの階段へ。

金のマリア像

屋上のいちばん高い位置に金のマリア像(マドンニーナ)が輝いていて、昔だとこのマリア像より高い位置に建物を建ててはいけない、とされていたとか。また、この像にミラノ再訪を祈ると叶うという、後で訪れるローマのトレビの泉と同様の言い伝えがあるという。この写真は、残念ながらドゥオーモのファザードの正面から撮ったものの上部をトリミング拡大したもので、鮮度はよくない。

ドゥオーモ内部

ドゥオーモ内部も開放されていて1400年代制作のステンドグラスなどもあったが、暗いため撮影は難しかった。

ドゥオーモ前広場

ドゥオーモの前は広大な広場となっている。これからさらにいい季節になるので、ここに集う人はますます増えていくだろう。
このスケールと、その前に厳格に聳えるドゥオーモのたたずまいはまさにヨーロッパ。
これから行く先でさらにどんなヨーロッパをわたしたちに見せてくれるだろうか。

ドゥオーモ前広場

昼食後、バスにてベネチアへ

バス車窓から、オリーブ畑か?

やっと海外旅行にきたんだなあ、という気分で、次の訪問地ベネチアへ。
その前に、ミラノ市内で、昼食。
メニューは、ミラノ風リゾットとミラノ風カツレツ(豚肉)、そしてデザートはリンゴのタルト。
フランスならともかく、わたしはイタリア料理にはそれほど期待をしていなかったし、まあ旅行全般を通じて、その程度のものばかりだったといえる。少々塩味がきついのが特徴ということだが、塩辛いのが好きなわたしはこれはまったく気にならなかった。
イタリアびいきの娘は、塩辛いものが苦手だといままでいっていたくせに、平気で食べていた。
もちろんもっとおいしい料理がほかにたくさんあるのだと思うが、特殊なもの極めて高価なものを除けば、パスタにしてもなににしても、もはや日本で食べたほうが同じ値段ではおいしいのではないか。そんな風にも思えた。
ホテルの朝食はどうということのないバイキングだったし、昼食のカツレツなど、わたしの家の近くの肉屋やラーメン店のトンカツ、チャーシューのほうが数倍、おいしいと思う。もう忘れていたが、昼食をとったレストラン(日本でいえば地方の場末の定食屋レベル)は味もそうだが、メニューの品が不足していたり、店の造りもひどいものでこれは旅行社の手抜きか選択ミスだろう。

さて、ベネチアへ移動するバスの車窓から見た景色はとても美しかった。これは、後日のフィレンツェ移動時にさらに強烈に感じたのでその項目で説明しよう。
写真は、日本では見たこともないなにかの畑。特産から推理すれば、オリーブかぶどうだろうか。( イタリア紀行Ⅳ に続く)



番外。またトイレの話

男子トイレ
格子模様のひとつを縦25〜30cmとすると便器まで75〜90cm。股下はと、うーん考えるのは止めよう。

海外ではとくにそうだが、観光名所とはすなわちトイレスポットでもある。もちろんトイレのない名所もあるが、ガイドの説明や土産の買物より重要なポイントだ。混雑する女性トイレはとくにたいへんだ。
そして、海外にきてまず驚くのもこのトイレ。
男子用では、背の低い(高くても足の短い)日本人は、便器を前にして当惑する。
今回の旅行では、このミラノの城内トイレがとまどいの初体験だったが、なんとか爪先立ちで用を足した。
トイレを使用するのにお金が要るのも海外。ここでは不要だったが、あとで、娘が、
「なんかヘンなおばさんがいた〜」。
そんなトイレ番人のいるところもたくさんある。40セントから1.5 € (ユーロ)必要な場合も。
ところでこの男子用だけど、外人でも子どもの場合はどうするのかな?


(09/04/28) (09/04/09撮影=現地時間)