序文の参考

古典のもじり

土佐日記: 紀貫之

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年のしはすの二十日あまり一日の戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乗るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよ具しつる人々なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。

徒然草序段: 吉田兼好

つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。

徒然草11段: 同 

神無月の頃、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝ筧の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に、菊紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりを嚴しく圍ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覺えしか。

朱書きはもじった部分(でしたが神無月が長月に前倒しに・・・)


11段を全文紹介したのは、神無月で始まるこの段がわたしの好きなものであるというただそれだけです。
サイトを神無月(10月)中旬過ぎにUPする予定だったのが、意外とスムーズな仕上がりで、
1ヵ月ほど早く長月(9月)となってしまい11段を紹介する意味がなくなってしまいました。
が、もったいない(笑)のでこのまま掲載します。
なお原文の現代語訳は割愛します。「閼伽棚」などの正確な意味とかは別として、なんとなく分かりますよね?!
でも・・・そうですね、念のため以下、大意を(意訳です)。
日ぐらしはセミの蜩ではなく、一日中の意・・・中学の時でしたか?習いましたね、懐かしいなあ!

土佐日記は・・・・・男はつけているけど女もやってみようと日記をつけはじめた(と紀貫之が女になりすまして言っています、当節のネットオカマということですね)。で、暮れの21日からなんかの任期交代時につけはじめたけど・・・昔からの親しい人との別れとかであわただしく一日が暮れた・・・なんて書いてあるようです。

徒然草の冒頭は・・・・・退屈もてあまして一日中、思いついたことを書いたりしてるとなんか妙に気がヘンになってきてしまったとかそんな話。どんな狂気か、その描写がもう少し欲しかったです。

神無月の頃は・・・・・山里を散歩していたらなかなか趣きのある奥ゆかしい家をみつけたが、ただひとつ大きなミカンの木の周りを果実をとられまいと厳重に囲ってあったことだけが気に食わんなあ、ということでしょう。

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(04/09/18)

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