じぶん探訪

遠出はできないからまず身のまわり、心のそばからというところでしょうか。

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その2.18時からの人生

ススキが原

夕暮れにはなぜか郷愁がある。
それは間近に迫る黄昏を迎えて、それまでの煌いていた若き日々を懐かしむことに通じるからであろうか。

空の高い秋晴れの日、利根川の左岸、栄橋から小貝川までの河川敷を歩いてみた。左岸とは川下に向かって左の岸をいう。

時刻はちょうど4時。
時刻といえば・・・。


年齢を3で割ると人生時刻になるという。
わたしならその数値は18。つまり、午後6時となる。
15歳の少女なら、5。明け方の5時、まだ目覚めていない。
21歳の青年なら午前7時。人生はこれからだ。

もう日が暮れなんとする秋の4時よりさらに2時間も過ぎた人生時刻をわたしは徘徊っていることになる。
6時ならもうとっぷりと暮れたころ。
しかし、まだまだ大人の時間には早すぎる。
夜が好きなわたしはそれが人生の黄昏とは思わない。
酒の好きなわたしは早くその帳の下りることを望む。

ススキ道 川に沿って

土手の遊歩道を降りるとそこは一面の薄が原。
それを抜けると川に沿って道が通っている。
アスファルトに疲れたウィークディをあざ笑うかのように芒の穂が頬を撫でる。

ノシメトンボ

トンボとりなどしなくなった子供たちのおかげで、ノシメトンボは往年の名捕獲者を目の前にしても逃げようともしない。

赤トンボの一種なのに羽の先が黒いだけでちっとも紅くない。
そんなおまえを哀れんでやろう。

アキアカネはここにはいないのだろうか?
そういえばシオカラやそのメスのムギワラももう何年も見ていない。

岸

川の水際に下りてみる。

さすがに大河、利根川の岸辺は砂浜とまではいかないが細かい粘土質の土壌で、過重のわたしの身体を沈めさす。

太陽

見上げるとまだ4時半を過ぎた頃なのに対岸はもう太陽が肥大化している。

その光はいつのまにか夏の青年の猛々しさからその恋人の優しさに変化していた。

もうすぐ?ススキ

大人に脱皮しようとするススキに出会った。

急ぐことはない、時間はたっぷりある。

急げ、のんびりしていると年はすぐ経ってしまうぞ。

わたしはどちらの言葉を投げかければいいのだろう。

岸へ

50mおきくらいの間隔で岸辺へいざなう脇道がある。

波

滔々と水は流れ、ときどき投げ込まれた無粋なブロック石に波が打ち返して“たぽん”と音をたてる。

意外にも静かな時の流れを感じさせてくれる。

夕日

夕日はいよいよたおやかになる。


飛行機

空を見上げれば、成田発16時50分(くらいか)。

フランク永井の唄が好きだったがあまり歌う機会がないな。

♪羽田発7時50分♪

少し咽る。

たにし? 大きなタモ

釣り人のバケツをそうっと覗いてみたら。
たにし?これがエサなのか、それともここでこれを捕獲?
玉網もでっかい!のだが・・・・。

竿 竿さらに2本

立派なリール竿が都合、5竿、我が物顔に岸辺を占拠している。
右手にオダ(木の枝などを水中に沈めたもの。魚の巣になる)があるからここはいいポイントなのだろう。
画面オダが何本か立っている右後方(この写真では見えないが)かなたには、高台の上に取手松陽高校の白い校舎が見える。

わたしはヘラ(ヘラ鮒釣り)を少しやるが、海釣りなどリール竿はあまり気が進まない。
お世話になっているバイク店の主がヘラ好きで、「やっぱり利根の本流だね、大物がいるよ」と言っていたが、
流れのある本流での釣りは難しい。
道糸もハリスも何号にしていいのかよくわからない。
ここに来た当初、やってみたがブツンと切られてばかり。相手が何者かわからないままいつもボウズ。
ヘラブナ釣りのエサはふつう、たにしなど生餌ではないから、この竿のターゲットは何なのだろう。
釣りは嫌いではないのに、利根川でリールを投げている釣り人が何を捕まえようとしているのか、実はわたしは未だに知らない。
うなぎ?それとも鯉?そう魚や雷魚じゃつまらないし・・・。

当の釣り人はと振り返ると、バンの運転席で眠っている。
もうひとつのバケツは空しく汲み置きの水が、待ち魚来たらずで退屈そうに控えていた。

切り株

電動のこぎりで切り刻んだと思われる雑木の切り株の山。

キャンプでバーベキューでもしたのだろうか?


セイタカアワダチソウ

せいたかあわだちそう。

その名は妻から教えてもらった。

これからさらに伸び、黄色の花をつけ、繁殖を重ねおそらくあっという間に枯れススキにとってかわるのだろう。

セイタカアワダチソウの花

喘息やアトピーの子をもつ親たちならだれでもその名を知っているだろう。

この町に引っ越してきたとき、都心に住む同僚に「でも、空気がきれいな所でいいよな」と言われた。(「でも」の意味はなに?)

その直後に娘が小児喘息と診断された。

妻は愕然としたらしいが、わたしはそれがどういうことなのか正直、よく理解していなかった。
わたしはその頃、深夜まで仕事をし、ハイライトをばかばか吸っていた。
多い日は1日4箱も吸った。家でも原稿を書きながら吸った。
妻が止めてといっても止めなかった。
娘がかぼそく咳をしているというのに止めなかった。

いろいろな道理をわきまえていると思っていたのに、
どんな身勝手な理由があるにせよそれが殺人的行為であったことが、
それから10年以上もたって、自分が肺炎になって初めて実感した。

娘に、妻に、恨まれてもなにひとついまは言い訳はできない。
わたしは娘のためではなく、自分が苦しくなって煙草をやめたのだ。

しかし、因果応報。
娘がなんとかよくなったいま、自分の軽い肺炎後に、
たびたびカラオケのさびのところで咳が止まらなくなることが多くなった。
そしていちど風邪を引くと異常に咳込む。苦しくて息が止まりそうになる。
幼い娘が苦しんだその同等の思いをこれから耐え忍ばなければならないのだろう。

落日とススキ

日没が近い。

ノシメの群れ

ノシメトンボの群れも家路につくのだろうか。

ちょうどそのころ役場が5時の旅愁のメロディを奏で始めた。

土手への坂

岸辺から土手を見上げる。

雑草を刈り込んだなだらかな丘陵に
夕闇が迫る。

坂東太郎を望む

土手にあがり坂東太郎を望む。


・・・


・・・


さあ、家に帰ろう。

そして、
わたしの好きな大人の時間へ行こう。


(04/10/03) (04/10/02撮影)