目 次
2006年4月18日、利根町加納新田と千葉県栄町を結ぶ若草大橋が開通しました。
もちろんその間に横たわるのは利根川で、道路全体での工事延長は1.7kmに及ぶものです。
当日式典がありお披露目のイベントが行われたということですが、
タヌポンは約半月ほど遅れてやっとそのニュースを聞きました。
若草大橋の名は開通少し前から名前を募集して決まったもので、
建設当初は仮称として「第2栄橋」という名が設定されていました。
つまり、正確に言えばこの橋は、命名そのものへの興味より、「第2」の意味するところ、
いわば栄橋パートUの建設工事進捗のほうに、そもそも関心・期待が寄せられていたのです。
ですから若草大橋の話をするためには、「栄橋」とはどんな橋なのか、
それを補完する橋の建設工事へ寄せられた期待とはどんなものだったかを
まず理解しなければなりません。
概要 | ||||||
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路線名 | 県道美浦栄線 | |||||
工事区間 | 茨城県北相馬郡利根町加納新田(県道取手東線)から | |||||
千葉県印旛郡栄町北(国道356号)まで | ||||||
工事延長 | 1.7km | |||||
工事期間 | 平成13年(2001)9月19日〜平成18年(2006)3月31日 | |||||
供用開始 | 平成18年(2006)4月18日(火) 午後3時から | |||||
有料道路名 | 若草大橋(わかくさおおはし)有料道路 | |||||
通行料金(単位:円) | ||||||
車種 | 軽自動車等 | 普通車 | 中型車 | 大型車 | 特大車 | 軽車両等 |
料金 | 150 | 200 | 250 | 350 | 550 | 20 |
回数券料金 | (若草大橋有料道路料金所にて2006年4月18日から販売) | |||||
22回券 | 3,000 | 4,000 | 5,000 | 7,000 | 11,000 | 400 |
60回券 | 7,500 | 10,000 | 12,500 | 17,500 | 27,500 | 1,000 |
100回券 | 12,000 | 16,000 | 20,000 | 28,000 | 44,000 | 1,600 |
注)2012年6月1日現在、上記料金は変動していません。以降は、お確かめください。
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利根町側 |
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千葉県側 |
「第2栄橋建設工事」への期待は、もう10数年以上も前から、主に利根町の栄橋寄りに住む住民にとって大きなものになっていました。
それなのに、いざ第2栄橋に該当するべき「若草大橋」が完成した現在において、タヌポンの身近では極めて反応が鈍いように思われるのはなぜでしょうか。
地域の世相に疎いタヌポンなどは、そんな工事がここ何年も前から現実に進んでいることすら知りませんでした。また、ここ1年間などは完成に近かったわけですから、「いよいよ」とか「もうすぐ」とか言った声が叫ばれていてもよかったハズなのに、そんな噂はまったく耳にすることはありませんでした。もっとも地元の人とのつきあいも希薄だったのですが・・・。
極端に言えば、工事が粛々と進んでいたのにもかかわらず、「いまだにその建設計画が立てられてはいないのではないか」とか、「早くその計画を立てて工事に着工して欲しいと思っている」とか・・・無知識のタヌポンだけなのかも知れませんが・・・それよりも、「待ちくたびれてしまってもうそんな計画は当分たてられることはないんだろう」とほとんど諦めに近い思いをしていた、そんな感じなのです。
それだけこの若草大橋の完成と、元々あった第2栄橋への期待との間に横たわる実質的なギャップは大きいと思うのです。
開通記念式典のパレードの音は、布川住民であるタヌポンの耳には文字通り届かなかったのです。
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2006/01/10午前7:50 取手方面から利根町経由で栄橋に向かう取手東線の渋滞。雪が降ったからではなくいつもの風景。 |
期待と現実とのギャップ。それは、若草大橋が栄橋からはあまりに遠く、その誕生が同橋の渋滞緩和につながるとは到底思えないということがあります。
タヌポンがここに移り住んだ20数年前からすでにそれは始まっていました。
それというのは建設工事のことではなく栄橋の渋滞のことを指します。
それは住み始めていくばくかで、とても耐えられないほどのものになってしまっていました。
布川という立地は利根町の中でいちばん都心に近く、昔から利根町の中心地としての機能を果たしていました。
その都心への接点となっているのが栄橋で、布川が利根町の主要地域であることは、役場があることや、ほぼ栄橋近辺を頂点として振興住宅地の地価がつけられていることからも明白でしょう。
成田から国内線に乗ると晴れた日は布川地区を空から俯瞰することができます。上空から見ると、午前は北から南へ、夕刻は南から北へ、砂時計の砂のように下降するクルマが見えます。その真ん中のくびれのところが栄橋にあたるわけです。砂が年々、その移動速度を落としていく・・・。
この渋滞はすごいです。
全長が高だか300m程度の橋ですが、朝の通勤時間帯では、バスなど車両はひどいときには1時間以上も待たされます。成田線布佐駅が利根町からの最寄り駅になるわけですが、利根川を挟んでいるためいちばん近いところでも徒歩20分はかかります。したがって、仮に自宅から徒歩30分のところに住む人は、駅行きのバスに乗ると昼間は数分程度のところが1時間以上もかかってしまうわけです。歩いたほうがよほどマシというのでは、どうしようもありません。
バブル前に購入した新興住宅地の価値は恐らく日本のほかの地域より激しく、年々ダウンしていきます。渋滞とは無縁の徒歩・バイク・自転車通勤も、距離その他でその手段がとれない人にとっては、この地域はもはや都心への通勤圏とは言えないものになってしまいました。バイク・自転車に乗れる人にしても真冬や大雨のときにバスが使えないと、とくに橋の上では強い横風に往生します。また、たどり着いた布佐駅から上野までは小1時間もかかるのに、布佐駅は取手駅のような始発駅ではないため、まず上野までは立ちっぱなしの通勤という、もともと「都心から遠いのに恩恵のまるでない」魅力のない立地なのです。
利根町に住む若者が、2ちゃんねる等で「利根町を見捨てた」とカキコみ、東京へのアクセスが最悪である故郷に次々と見切りを付けていくのも仕方のないことでしょう。現実に、利根町の団塊の世代の子供たちはそのほとんどが町からの通勤を諦めて、職住接近を目指し、利根町住民の高齢化は他地域よりもハイペースで進んでいます。もちろん、大企業の誘致も地場産業などもほとんどなく、農業のみで働く場所もありません。
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県道千葉龍ヶ崎線の龍ヶ崎方面から北方の交差点を見る。直進すると栄橋。盛んに成田空港・若草大橋への左折を促していますが・・・ |
この橋の渋滞に頭を悩ませていたのは地域住民だけではないのですが、なかでも布川住民は、「栄橋からさほど遠くない地点におけるこの橋の機能を補完するもうひとつの橋の建設」もしくは「栄橋の大幅な拡幅工事」を切に期待するのは当然のことでした。
それが同じ利根町の名がつくとは言えはるか東端の加納新田地区に、しかも、これも片道200円とは言え有料の橋が、「第2栄橋」の名目で建設されることになろうとは。つまりそれが若草大橋なのですが、栄橋の問題解決になるとは思えない、まったく期待はずれのものでしかなかったわけです。
それは幾ばくかの渋滞緩和にはなるかも知れませんが、焼け石に水の如きものでしょう。これによって朝の重要な時間帯を利用してのバス通勤者が復活するとは到底、思えません。
若草大橋を見る前にその所在地を聞いて耳を疑いました。
「えっ加納新田?それはどこなの?どうしてそんなに東の、栄橋から遠く遠く離れた場所に?」と言う疑問と、
「えっ、有料なの?そんなばかな。それでは通勤客の負担が・・・」という大きな疑問がありました。
そして、いざそれを目の当たりにしてみると、「第2栄橋」というのは幻想に過ぎなかったことを思い知りました。
わたしは若草大橋を先日見てきて、絶句しました。
これは当初からお題目だけは「第2栄橋建設工事」となっていましたが、「栄橋の渋滞緩和」が主目的の建設ではなく、明らかに「成田空港へのアクセス改善」のみが主眼であったと思わざるを得ませんでした。
しかし、よくよく考えてみれば、それはそうなのです。
つまり、建設省いや国土交通省の施策は、基本的に、ほんの一部の地域住民のニーズよりも、対極的な見地から実行されるというのは当然ではあります。この場合の大局的な見地とはすなわち「成田空港へのアクセス拡大」です。
こんな茨城の最南端の過疎地のような場所のわずか数千の通勤客のために、莫大な国家予算を投じて架橋という大工事をやるはずもありません。
すべては茨城より北、東北地方を含めた幅広い地域からの成田空港利用客のアクセスのために、「栄橋の代替」をスローガンにして、利根町(主に布川)住民の悲願に一見、応えるかのような名目で建設されたものにちがいありません。
布川住民の毎日の通勤のためでは毛頭ないといえるでしょう。それは、大手旅行代理店の海外旅行ツアー企画、裕福な個人の渡航、有名企業エリートサラリーマンの海外出張のためなのです。彼らには往復400円の料金などなんでもありません。ほんとうは1,000円にでもしてもよかったのでしょう。現実に、布川住民にとってはそんな使えない橋なら通行料200円でも1万円でも変わりはありません。一生、渡る必要のまったくない「遠くの無縁の橋」なのですから。
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料金所の通行料金表 |
困ったことに、若草大橋の建設により、布川住民の熱い願いは、ほぼ永遠にかなえられなくなってしまいました。
なぜならば、若草大橋というものができて、名目上は栄橋の渋滞緩和になったとされる、いや、されてしまうからです。
もうひとつ本来の望んでいるような別の橋ができる可能性は未来永劫、いや少なくとも今世紀中にはないでしょう。
小泉政権の改革とは、こうした多数決の論理、強いところのニーズが最優先であり、少数の弱い地域はそのニーズがたとえ悲壮なものであっても無視・黙殺されてしまう。
第2栄橋がそのいいケースでしょう。
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若草色が鮮やかな若草大橋 |
すべてに一様に少しずつという古き良き時代?は過ぎ去りました。
「そんなに不便なところなら引っ越せばいいじゃあないか」と、嘘か誠か定かではありませんが、何か栄橋と同じような案件の答弁の折、首相は言ったそうです。
多数決の論理で国民の選んだ政治家がその道を選び、政治のあり方がそういう方向で進んでいるというなら、いたしかたのないことなのでしょう。すべてがそうとは言えませんが、弱者切捨てのケースが多く、そうなってしまうというのが事実なのでしょう。
弱者の立場にいる人間は文字通り困るわけですが、そうでない人が「圧倒的に多数で」支持しているわけであり、原資の少ないときの政治とはそうなるのかも知れません。小泉政権や利根町の政治に文句をつけようというわけではありません。ああそういうものなのかといまさらながら認識したというだけのことです。
いやなら引越ししてしまえば済むことなのだそうです。引越し費用がないなら、まずそれを稼ぐ自助努力をすべきなんですよ、自力で橋を建てるわけにもいかないでしょうから、というわけでしょう。まあそれも道理なのでしょうか。
しかしそれなら「第2栄橋が建設されつつある」などという噂が流れて欲しくなかった。
「成田空港アクセス橋」とでも命名し、栄橋のこととは次元を別にして、それが新しくできますよ、と言うべきでした。
・・・ああそうか。第2栄橋いよいよ完成、という歓声がまったく聞こえなかったのも、もしかして、だれもがその意味合い、若草大橋のもつ機能を薄々は感じていた、そういうことなのでしょうか。
建設工事の進捗が、ほんとうなのか噂なのかよく分からなかったこと自体がなにかを表していたのかも知れませんね。
えっ橋ができたの?いつ、どこに?探したけどないじゃない?栄橋も渋滞したままだし。どれがそうなの?えっ、そんなに遠いところに?なんですって、有料?嘘でしょ?なんなのそれ?お金取るの?そんなの意味ないじゃない?いったいいつから工事してたの?
繰り返しますが、これが正直な栄橋の袂に住む地元民、少なくともタヌポンの実感だったのです。
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取手東線の加納新田T字路手前。この先を右折すると若草大橋。真っ直ぐ行くと河内町。 |
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T字路交差点に立って若草大橋への入口方向を見る。この先に料金所があります。 |
さて若草大橋ですが、開通日のパレードも終わった2週間後のなんでもない日に訪れました。人もクルマもがほとんどいないせいか、たいそう清々しく立派な橋に見えました。
昨年(2005)すったもんだして決まった利根町の新町長が、聞くと加納新田のすぐ北にある惣新田出身だそうです。この橋に、偶然かどうか分かりませんが住まいが近いですね。でも自分の住む地域の発展は望んで当然であるし、町長当選祝いとしてもいいでしょう。
ただ地域の発展という点でひとつタヌポンは新町長にお願いしたいことがあります。
タヌポンは惣新田に昨年からたびたび訪れていてたいそう気に入ってしまいました。むろん現在の雰囲気がです。自然があふれているばかりでなく住んでいる人たちも理知的でしかも親しみやすい気がします。とてもやさしい感じもするのです。これが新町長の人徳が成せる技なら申し分ありませんが、この雰囲気を壊さないで発展していってもらいたいと思います。
いままで日本は高度成長で、愚かしくも形ばかり発展し自然破壊を繰り返してきました。どうかその二の鉄を踏まず自然も可能な限り残して美しい新都市を構築していって欲しい。
布川に代わって利根町の玄関になっていくとしても栄枯盛衰でそれもまたよし。布川は布川なりの進んでいくべき未来像があるでしょう。
加納新田・惣新田の町が、浅薄な近代化の旗印のもとに、人のやすらぎまで破壊していくようなまちがった姿に変貌していって欲しくない。あの日本列島改造は、それまでは前例がなかったわけですから多少の弊害を残したことには目をつぶりましょう。でも、今後も同じ過ちを繰り返すとしたらいかにも無芸です。賢明なる町長さんにはそうならないよう懸命になってもらいたいものですね。
そういう観点で若草大橋を眺めてみました。
この美しい橋の架橋によって、有料ではあるもののその地域の人たちにとっては利便性が増すわけですし、少しずつより栄えていくのでしょう。近い将来、利根町の中心がここに移動するかも知れません。そういう意味では近未来においては、若草大橋こそ「栄橋」という名に相応しくなるかも知れません。
いっぽう元祖栄橋に近い布川地区は、昔より成田街道から布川を経由して北上する佐竹街道が首都からの主要ルートであったため栄えましたが、江戸時代から近世にかけて、我孫子から分岐して取手・藤代地区を経由する水戸街道に主要ルートをとって代わられたときに最初の失脚を経験しました。
そして、今回、この若草大橋の誕生で、今度は成田へのアクセスをも次第に奪われていくことになります。2度の降格で過疎化への加速をさらに深めていくことでしょう。人生のひとつの時代を終えたタヌポンにとっては、むしろそのような静かな布川のほうが好印象で、共感すら感じてしまいます。
タヌポンの「若草夢物語」
先日、利根町の巨木を観る会で植物学者の先生が、徳満寺 と 琴平神社 の豊かな自然に注目し植物公園にしたいという夢を語られていました。
大いに賛成です。布川は、利根町に住む若者がまだその価値に気づかない豊富な自然という宝を、ヘタな開発に損なわれることなくそっくり次代に残していけばいいと思います。
その努力を続けていけば、50年後くらいには、ようやく真の意味での「安らぎ序列の時代」が訪れるでしょう。そのとき、布川は、日本で一躍、高価値の人気の「村」となっていることでしょう。
手始めに、いっそのことつまらない東京へのアクセス拡大の夢など打ち棄てて、
栄橋も取り壊してしまい(壊すこともないか?)、その名を若草大橋に譲ってしまいましょう。
そして、布川が意気盛んだった頃の利根川の渡し舟、高瀬舟 を復活させてみたらどうでしょうか。
米帝国の愚かで身勝手なグローバルスタンダードに打ちひしがれて、行き場を失った若者たちが、
いずれ、「やさしい自然」を求めて日本をさまようことになるでしょう。
「布川村」が有名になる頃にはタヌポンはとっくに死にたえているでしょうが、できるだけ生き延びてそれを垣間見、高瀬舟から利根川花火とこんぴら植物公園のタブの木の杜を眺めながら、自然というかけがえのない文化の香りを満喫してみたいものです。
(18/1/05・12/06/10 目次・画像等修正) (06/07/01) (撮影 09/03/18・06/06/24・06/05/03・06/01/10)