つれづれ道草 わびさび写真館タヌポンの利根ぽんぽ行 

コロンブス・ブログ

コロンブス・ブログのページへようこそ。
以下はサイト開設時(04/09/18)から翌年春(05/05/04)までの記録です。
以降は、本来のBlog形式に則った新サイトへ移行しました。
こちらをご覧ください。


ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとゞまりたるためしなし。

人の世は絶えず漂い、無限の時の流れに身を任せていますが、
ときどき何かにぶつかることがあります。
その小さな火花を記録していくことにしましょう。
発見のないとき、気づかないときは記せませんので、
連日の日記にはならないでしょう。

ご注意:本日記は昨今のいわゆるインタラクティブなブログ形式にはなっておりません。
作者の一方的な記述です。ご質問・ご意見等があれば以下までどうぞ

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2005年5月4日(水)
輪ゴムで和む

地図を片手にある目的地に出かけようとしたとき、ふと見ると当該ページに輪ゴムが挟まれていた。
「栞がわりよ」と妻がいう。
こうするとすぐそのページを開けるのは無論、栞のように開いたときに落としてしまう心配もまったくない。
「これは便利だね。こんな使い方、まったくいままで知らなかった」
「学生時代に友達に教えてもらったのよ」
主婦、いや女性は輪ゴムの使い方がとても上手だ。
硬くなったビンのフタも輪ゴムを何個か巻いて回すとカンタンに開くというのも、結婚してから妻に教わった。
長すぎる(足が短いのだが)ジャージーのズボンの裾を止めて歩くときも輪ゴム。これも習った。
よく輪ゴムを妻は注文しているがいったい何に使うのだろうと不思議に思ってもいた。
ちょっと髪を結わえたり、生鮮食品の袋のフタをしたりいろいろ使い道があるという。
栞の話にもどるが、アマゾンでよく本を注文する。読み終わった本などを売りに出すこともできるようだが、わたしの場合はとてもムリだ。
栞は電車の中でよく落として紛失するからあまり使わず、もっぱら読みかけのところでページを三角に折ってしまうのが、妻とは逆に学生時代からの悪いクセ。昔の本をもう一度、読み返すときなど、何十カ所の折り曲げているところを元に戻しながら読むという始末で、そんな本はとても人には貸せない。ましてや購入したときと同様の美しい装丁を保つなどということは到底、できない。
これからは輪ゴムを使えば少しはきれいに読めるかな、とも思ったが・・・。わたしにはもうひとつ広告カバーはおろか本体の紙カバーすらも全部取って捨ててしまうというクセもあるので、「マーケットプレイス」にはとても出品できないだろう。
さて、輪ゴムといえば、母などひと時代昔の主婦がよく腕に2、3本巻いていたのを思い出して、何だか懐かしくなった。妻は流石にそれはしないようだ。

2005年4月30日(土)
日本経済からの訣別

先日訪問した日立中央研究所の庭園探訪記をやっときょう「じぶん探訪その6、武蔵野への憧憬」でUPした。
ところが、なんとしたことか、その中で少し作家、三島由紀夫の悪口を書いてしまったのだが、本日の日経朝刊では同作家を褒めちぎっているではないか。
さらに、朝日の天声人語にあたる春秋というコラムでは、昨今のインターネットのブログを酷評し、ブロガーなど個人サイトを開設している人たちを、「有名になりたいのか」「自分に酔っているのか」と批判している。
「誰も読んでくれなくともいい」という控えめな発言を居直り(文中では祈りと称している)と解釈したのかエルサレムの嘆きの壁に比喩し、挙句は宗教がネットの闇に宿っているなどと言う。「たわいのないがっかりする内容」で筆者を煽ったりするべきでないなどと矛盾した発言で擱筆した。つまらない内容で煽られる者などいるものか。筆者は無論、そうではないが、という前提が見え隠れし、その他を衆愚と見て侮蔑する傲慢。
いっぽう三島だが、すっかり忘れていたが、そういえば、三島と太宰とは仲が悪かった。それはそうだろう。三島には太宰のような天性の才能がない。三島はすぐれた頭脳をもった努力家ではあるが、天才ではない。そのことに彼自身、気づいていたからいつも絶望しあえいでいたのだ。新聞では三島が一生懸命に下調べをしていたことを褒め称えていたが、その暴露は実は彼がもっとも嫌うことだっただろう。
どうも日経とわたしとは昨今、ますます乖離していく。そろそろ、傲慢と金満からは訣別か。(金満はとっくに先方から愛想を尽かされているけどね)

2005年4月24日(日)
そこにある発見

自然は寡黙で存在だけしか示してくれないが、どんなところに行っても何かしら人がいて、いちど関与するとそこには無限に広がるその人の世界がいやおうなしに体の隅々に入り込んでくる。
それをひとつの縁と考えて、運命的なものと考える方法もよく言われる。
きょうどこへ行くか、だれと話すか、すべてが無限の可能性があるように見えて、それもつまりはすべてが当初から決められていることだとも言う。
どちらが正しいのか?
正しい?うそ?
いっぽうでは、その正しい、そうではない、というすべてのことを虚とする考えもある。虚実含めて混沌としたカオスの世界こそが実は真なるものである、なんて、真っていうのも虚実のどちらかの存在ではないのか?
何も信じられないような意識のなかで、眼前にはすべての事象が確実に自己の未来から過去へと奔流のように溢れ、やがていずこかへ去っていってしまう。それは、人生とは何ぞや、愛とはなんぞやなどという懐かしい設問すら一気に包み込んで、ポータラカかホワイトホールか、はたまた極小かつ無限大の世界か、人知を超えた点とn次元点のクレバスへと追いやってしまう。

・・・・ごはんよ〜・・・。

こういう声がなくなったら、とても生きていけない気がした。
これだけは「そこにある」という発見。


(あーーーあ、またやってしまった。少ない読者への甘え)

2005年4月17日(日)
発展的移転

まだ15メガほど余裕があるとはいうもののせっかちな性格上、こうなるんではないかと自分でも思っていた。
一昨日の金曜からレンタルサーバを検索し、ついでにドメイン取得もどんなもんかなと調べて、あっというまにサイトの移転をきょうやってしまった。念願の狸囃子のドメインも取れたし、いまのところまあまあ満足しているのだが、よく知っている人の参考意見も何も聞かずに突っ走ってしまったのでいささか心配でもある。ドメイン取得料もサーバレンタル料金も思った以上に低価格で、なんかこれでいいのかな?という感じ。何か落とし穴はないのか?
便利な機能もついているようで、簡単にブログやcgi等が使えるようなのだが、これがまたよく読まないとわからないのでとりあえずあとまわし。検索サイトへの登録なんかも、これでいいのかな?という感じでやったけど、もう少し身近で教えてもらえる人がいるといいのだが・・・。独学では限界あるよねえ。
まあ、それでも、とりあえず、一段落。コンテンツの写真材料ばかりたまってて一向に組み立てができていなかったけど、スペースだけは確保ということで少し、ほっとしている。
とにかくサイトの発展を願って・・・引越しには絶好の日和だったし。・・・サイト移転には関係ないか。

2005年4月15日(金)
ロト失敗
先日から2日ほど休みをとっていろいろなプライベートな用事を済ませたのであるが、その間、コンテンツ追加もおろそかになってしまった。
その背景には、更新を少し躊躇するような別の要因もあった。現在、もうプロバイダでのサイトの限度である50メガの70%を費やしてしまっていて、この調子でいくと今年前半で満杯となり別サーバ確保やそのついでに新ドメイン確保したほうがいいかとかいろいろな未知の世界の勉強へと移行せざるを得なくなる危惧?もあったのである。テキストだけの追加程度ならまだ大丈夫か、ということで画像なしのこの日記の更新から・・・そんな気持ちでいまこれを書いている。

すぐ前の4/7日にまたしても思わせぶりなことを書いてしまったが、やはり小市民的な試みは失敗に終わり、ここに紙面で報告する羽目になってしまった。

結論から先に・・・。

●小市民的な試みとは・・・ロト6を始めて購入(チャレンジしたと言ったほうが正しいか)したこと

なんだつまらない、と思うかも知れないが、確かにあのときひらめいたアイデアがあったのである。

●それが、時刻表

ロト6の6コの数値の並び。それが何かの数列に似ているという潜在意識が実はあったのである。
たとえば3/11日のH氏のあの惜しい当選数値
「08 16 21 24 27 36」
これをよく見ると、電車(列車またはバスなど)の時刻表の数値に似ていないだろうか?
地方都市より東京など交通機関が豊富な都市にいる人のほうが実感があると思う。
ロト6は1から43までの数値が対象だが時刻も1から100まででなく0から59までである。
東京の山手線など2、3分置きのダイヤでは6個以上の数列となってしまうが、たとえば比較的少な目の常磐線などのラッシュ時以外のダイヤでは6コ前後の数値がぴったり並んでいる。
それと4月上旬のある日がわたしの家族のひとりの記念日でもありその日に東南の方角に向かって何かをするといい、などというご託宣を、今年の正月にある女性占い師がテレビで話していたのを覚えていたのである。
それとH氏のロト6の話、さらに購入日間際に突然、上野駅でひらめいた時刻表の暗示。
これはもう1等当選、1億円当たってしまうぞ・・・などと欣喜雀躍してしまった。
これには妻も賛同し、ふたりで時刻表をインターネットで調べ該当数値を切り取って初めてロト6を花見がてら買いに行ったというわけである。
「成功したらここには書けない」というのはご理解いただけるだろう。わたしの実名を知った上でこれを読んでいただいている人もいるからだ。1億円当たったなどとは言えないからね。

ところがおそまつながら見事、ハズレ。ご安心いただきたい。人の不幸は蜜の味、逆もまた真なり。ああ、嘆息。
したがって約束どおりその顛末をここでお知らせすることになったというわけである。

でも「時刻表」の数値っていうのもなかなかの暗示的なものだとは思わないだろうか?
皆さん身近な「時刻表」でロト6を買ってみてはいかが?もしそれで当たったらおすそ分けを少しくださいね。そうだな、1000万円でいいから。

さて、結果的には、2000円(200円×5枚、10種類の数値群)の投資でそれでもその3種類が3つの数値が当たり(5等が3本当選)、都合3000円の還元で1000円プラスとなったのである。
で、懲りずに同じような数値でもう1回、買って見ようかと妻と話している。(ん?ここで書いてしまったらもう当たらないよ、などと横で言っている。うるさいなあ!)
2005年4月7日(木)
時刻表の秘密
きょうは帰宅途中のJR乗り換え時にあるものを見てあることをひらめいた。
実は、あと数日後にわたしは密かな試みをしようとしている。
そのときに必要な暗号をそのときひらめいたのだ。
しかし、「密かな試み」と「あること」をここで記すことはできない。
これでは何のことやらさっぱりわからないと思うが、いまは話せない。
しかしおそらく2週間後ぐらいにもしこの試みが失敗したときはこの日記で顛末を記すつもりなのだが、もし万が一、成功したらおそらく永久にここに記すことはないだろう。
なんとも思わせぶりな話で恐縮だが、まあこんな話もたまにはいいではないか?
なにやら犯罪めいた話にも聞こえるかも知れないがそんなことはまったくない。まあ所詮、小市民のする企みていどのものである。
でもこれだけでは余りにも雲をつかむ話なので、ヒントを2つほど言っておこう。
1、「あるものを見てあることを思いついた」と書いたが、あるものとは時刻表である
2、ある試みとはこのわたしのColumbus Blogの中に書いてある
この2つのヒントだけでわたしが近日中に行おうとしている密かな試みが何なのか分かる人はとてもカンのいい人というしかない。
おまけにもうひとつヒント。「もし成功したら話せない」ということ。暗号というのも・・・。
さて、当てられる人はいるか?
2005年4月2日(土)
春の準備中

3月の第3週からいろいろと旧友や同僚の送別会等で連日、飲み会が続いたものだから日記の更新ができなかった。というより、「発見」の整理ができていなかった。単なる経過だけなら記すことはできたのだが・・・。
で、いまだに準備中なわけであるが、春の気配を見てみると彼女たちもいまだ準備中が多いようだ。
自宅の庭と本日の訪問先で見かけた「準備中」を紹介することで当座をしのぐこととする。
桜何分咲き?木蓮

左は利根町早尾台の梅園手前の桜。
右は庭の木蓮。(クリックで拡大・木蓮は1日後の変化)
2005年3月31日(木)
巡り合い、巡り合わせ
先週が火曜から金曜まで連日、親しい人複数の送別会?があったせいか更新等はすっかり後回しになってしまった。同僚H氏との会は予期していたことなのだが、旧友との久し振りの再会が送別会になってしまうとは!なんと連絡が取れて会った2日後に東京世田谷から福島市へ移転するのだという。これは彼の地元で飲食店を開店するという祝福すべき話なのだが、親しい人が離れていってしまうのはとても寂しいことだ。
旧友は元の同僚なのだが彼と飲んで2軒目に寄った三越前の古い店がなんと3月いっぱいで閉店するという。実はその店は何年か前、彼が社を辞めるときの送別会の2次会で入った店なのだという。不思議な巡り合わせもあるものだ。
変わるもの、変わらないもの。そんな言葉をまたしても思う。
形あるものはやはり確実に変わっていくようだが、彼らとの関係は少なくとも変わらないように思う。
H氏とは近日中にもまた会うことになるだろうし、旧友には近々ぜひとも訪ねていきたいと思っている。
そして巡り合せと言えば、今回しばらく会っていないなと思っていた矢先に連絡が取れて会うことができた。またいつかどこかひょんなところで彼らと巡り合うこともあるような気がするのも不思議である。
2005年3月19日(土)
魚卵の日

きょうは発見の多い日だった。
まず、金曜夜、H氏の第X弾ミニ送別会から帰宅した後、翌日から3連休で酔いも大したことがないので少しコンテンツづくりを深夜から始めた。
ところが日が変わり夜中の3時ごろ、トイレに行くと・・・。
なんと「狸囃子」もどきが聞こえるではないか。
今度、聞いたら百年目、どこまでも追いかけて・・・と思っていたが、以前聞いたほど鮮明ではない。風の音か、クルマの騒音か、紛らわしい感じである。
結果的にこれはちょっと違うか、と思ったので流石に外に出てみることはしなかったが、この音で少し解明のヒントになる仮説を持つことができた。これは後日、「狸囃子について」のコンテンツで記そう。
そしていつものように(休日前)やはり明け方に就寝し、正午前後に起床した。
朝昼兼用の軽食を取って琴平神社のコンテンツ他をまとめるために撮り残したカットを撮ろうと出かけたわけである。
狸囃子もどきが聞こえたせいか、この後、発見やいいことばかり。皆、小さなことなのだけれど。
●最初の曲り角の自動販売機の前で100円玉を拾った。なんかトクした気分(警察に届けることはしないので実際、100円分トクしてる)
琴平神社での取り残しカットはまったくスムーズに進んだ。小林一茶の句碑の裏側を何気なくのぞいてみると、縁起がよさそうなヘビの小さな飾りみたいなものが落ちていた。迷ったが高価そうでもないのでいただいておくことにした。
●すぐ布川神社のほうへと思ったが少し回り道して赤松宗旦(貴重な文献、利根川図志の著者)の旧居(利根町の指定史跡になっている)へ向かった。真向かいの常陽銀行の客のものなのか史跡前にクルマが駐車してあり真正面からの写真が撮れなくてちょっと残念に思ったが・・・。(結局、後でそれも撮り直すことができた)しかし、そこを経由したおかげで、次の布川神社へ行く道の途中で、どうしてもいままでその場所がわからなかった布川不動堂をいとも簡単に見つけてしまった。
●さらに、その布川不動堂で、布川地区における鎌倉街道の別の情報も知ることができた。
●その後、布川神社に向かう。前夜、娘が小学校時代に神社の石段の途中脇に洞穴があってよく遊んだというので、それは面白いと思って調べにいったのだが、なんとそれらしいところに「八坂神社」の鳥居が立っているのを発見。
●そしてつい先日の前回訪問時とあきらかに異なっている現象(わたしが単に見落としていたとも言えるが)をほかにもいくつか発見した。
もう、これだけで十分、収穫はあったのだが、外出する娘を駅までクルマで送った妻と来見寺付近で合流するとき、普段、よく見ないで通り過ぎる場所を何気なくふらふら見ていると・・・
●どこか曖昧で判然としなかった「布川貝塚」跡を説明する立看板を偶然に見つけてしまった。これは探していたものが、探そうともしていない時に向こうからひょっこり現れてくれたようなものである。
「こんなところに立っていたのね」
妻もびっくりしていた。
そして次の訪問先、利根町歴史民俗資料館では・・・
●そこにいた職員の女性が、知りたかったことをいろいろ教えてくれたりわたしの誤解していたことも正してくれた。わたしたち夫婦(そしておそらくその女性も)はまだ話し足りなかったが、あっというまに閉館時間がきてそこを後にした。今度行くときもきっと何かをたくさん発見できるだろう。
ほんとうは図書館にいくのが主眼だったのだが、きょうの結果はそれ以上だ。明日、図書館で効率的に調べる方向性すら暗示させてくれる結果となった。
こんないい日もあるんだな。
宝くじ1等とか試験合格、とかいうほどのものではないそれぞれ小さなことだけれど、こんなにいっぱい重なるのはうれしいな。食べ物にたとえれば小さな粒が集まった大好物の魚卵の日とでも言おうか。ヘンか?
赤松宗旦旧宅

赤松宗旦旧居も帰宅直前に正面から撮影OK。
朝夕、この前は栄橋を渡るクルマで渋滞する。
この時も数珠繋ぎのクルマのちょっとした空きを狙ったもの。

2005年3月12日(土)
オカマのヒゲ

昔から好きじゃないのだけれどあまりにも髪が伸び過ぎてどうにもならないので仕方なく散髪屋へ。まだ4〜5回しか行っていない地元店で、いままで必要なこと以外、店主と話したことがなかったが、きょうはわたしから話しかけてとても得るものがあった。
まず、昨日、「琴平神社」のコンテンツをさわりだけUPしたが、店主が地元出身であることを確かめた上で懸案事項を聞いてみた。すると、やはり「ことひら神社」とは呼ばず「こんぴら神社」だと言う。蕎麦屋の「ますだや」の若主人と散髪店主の地元民2人がそう言うのなら、どうやら利根町の「琴平神社」はこんぴら神社が正しいようである。さらに正確を期するとすれば利根町の琴平神社の「愛称」は、ということだろうか。まだ正式な名称を断定するには早い気もする。
ほかにわたしが知りたいことをいくつか聞いてみたが「想像どおり」いまやわたしのほうが利根町の物知りになってしまっていた。
たとえば、「鎌倉街道」や「大平神社」の存在も「何ですか、それ?」。
そんなもんだよね。
しかし、地元民によそ者が地元の名所を説明する理不尽さ。成り行き上、なんともくすぐったい恥ずかしいプレゼンテーションをせざるを得なくなった。
話題を散髪に変えるのが妥当であろう。
これは正解だった。
最近、妻がこの町は美容院が多くなったと言っていたが・・・にはすぐ反応が返ってきた。
それは全国的な傾向なのだという。逆に理髪店のほうは減っているのだそうだ。
それを聞いてひらめいたので、
「やはりカリスマ美容師なんかが・・・」
「そうそう、そのせいですね。需要と供給のバランスがくずれてます」
また、理髪店と美容院とは免許がやはり異なることも確認した。
ところで、最近はそういう若者も増えてきているようだが男性の多くは美容院へ行くということは一生、ないだろうし、女性に至っては理髪店に行くことは皆無に近いだろう。
その場合、お互いにあることに一生、気づかないでいるということがある。
その大きなちがいを2つ紹介しよう。
そのひとつは、理髪店と美容院では髪の洗い方が異なるということだ。
美容院では仰向けのまま髪を洗う。
経験のない男性はよくわからないだろうから、身近な女性に聞いてみるときっとくわしく教えてくれるだろう。
理髪店を知らない女性にはわたしから。理髪店では椅子の目の前に隠れた洗面台があり、そこに頭を下げて洗ってもらうのである。ホントである。

さらに散髪屋のマスターは興味深い説明をしてくれた。
美容院で仰向けで髪を洗うのは女性の化粧をくずさないためなのだと。
なるほどねえ。そんな理由があったのか。
もしかして昨今、美容院に行くような男性は化粧もしているかも知れないなと思った。
そしてもうひとつ。これはちょっと不思議な話だ。
美容院ではカミソリを使わない。
いや使わないというより使ってはいけない、置いてはいけないのだそうだ。
「法律で決まっているのです」
最近は産毛を剃る場合もあるがあくまでもそれは違法なのだそうである。
勝手読みしがちなわたしは、
「もともと刃物など置いておくこと自体がよくないことで、男の場合はヒゲがあるから仕方なく理髪店でのカミソリを特例として認めているだけで、むしろ美容院のカミソリ禁止が不思議ではなく当たり前のことなのかも」
賛同を得られるかと期待したが、そうですね、と一応、相槌のあと、
「歴史的にずっと前、髪結いの時代からそうらしいと聞きます。昔も女性の場合、カミソリはご法度だったのかも知れません」
なぜ?
という疑問は残るが、わたしのヒゲそりに移行して話せなくなり会話はこれで途絶えた。これは別にもっと調べてみないとわからないだろう。
最後にわたしは、
「美容院に行くオカマのヒゲはどうするのかな」
と言って2人で笑った。

2005年3月11日(金)
H能力、ホンモノか?

Hといってもソノ能力ではない。しかもわたし自身の能力の話ではない。
つい先日、2/28日付「ツキか超能力か」で記したH氏のロト6の超能力である。
あれから2週間。こんどはさらに惜しい、「く、悔しい!」と題した結果をきょうメールでもらった。
彼からのメール本文を紹介しよう。


本日発表の「ロト6」。
小生のNO、
「08 20 21 24 27 37」
当選NO、
「08 16 21 24 27 36」
これは、もう殆ど当選ですよ。
朝飯前で、一瞬、茶碗を落としそうに・・・・・
「クソッ!」。でした。残念。

以上、結果です。わかります?この「おしい!」ってのが。
結局、¥7700でした。「奥」にあげました。

以下詳細
第229回 H17. 3.10
ボーナス数字 20

1等   103,016,200円       3口(全部の数字が一致) 
2等   16,361,200円      17口 (5つとボーナス数字20)       
3等     403,100円      828口(5つが一致)
4等      7,700円    37,875口(4つが一致)
5等       1,000円   535,949口(3つが一致)


この結果で見逃してはならないのが、Hさんの選んだ数値のなかにボーナス数字の20が含まれていることだ。もし37ではなく36を選んでいたなら、Hさんは2等に当選、1600万円獲得していたことになる。まさに1番ちがいなのである。
コレはすごい!
それでも今回4つも数字がぴたり当たり、4等。3等以上と4等以下との壁は厚いとはいうもののHさん、前回より確実に一歩、前進。
「奥」さんにプレゼントした「7700」円がきっと幸運を呼ぶだろう。
このHさん、今月末で社を去る。親しい人がまたひとりいなくなり寂しいかぎりである。
2005年3月4日(金)
孔明的予報

昨夜の気温や気配からみて雪は降らないのではないかと予想していた。
しかし、気象庁の予報は当たった。
ここ1〜2年くらいだろうか、天気予報が結構、当たっているという印象がある。
というより、わたしの感覚ではそれ以前はまったく当たらないという評価であった。まったくというのは厳しいかも知れないが、素人のわたしが適当に予想したもののほうが当たる確率が高かったからである。
ここ数年で優秀な予報官に変わったにちがいないとわたしは思っている。
技術の進化によりデータ収集がより緻密になったせいもあるだろうが、わたしはそれだけでは予報の精度を上げるのは難しいと思う。
私見ではあるが、やはりもともと気象について興味があり子供のときから天気図を見るのが好きで実際の天候とそれとの符合性について無数の個人的データを頭脳に蓄積している人間でないと精度があがらないのではないか。
いくらコンピュータが進化しても最終的にそれを総合・分析し纏め上げるのはもうひとつの域のデータを持った人間なのである。人間しかできない高度な推理があるのではないかと思う。
気象予報士などという職業がここ数年で跋扈してきているが、資格を取ることだけが目的の安易な保持者では所詮・・・という気がする。
三国志の序盤のハイライトで赤壁の戦いというのがある。劉備と孫権の連合軍が戦力的にそれを圧倒的に凌駕する曹操の大軍を破ったという歴史的に有名な戦いである。このなかで勝利を呼び込んだのが「冬場における東南の風」を利用した戦艦への火攻めだった。
物語のなかでは諸葛孔明が祈祷して東南の風を呼び寄せたとあるがそんなマジックはありえない。もし事実としてもそれは孔明のパフォーマンスであっただろう。要は当時の風水学の一部、現在の気象学に卓越していた所以だ。
この東南の風が吹く予報を実際にしたのは果たして孔明なのか孫権の軍師、周瑜だったのか不明だが、いずれにしても彼らは現代に生きていれば関東のきょうの雪を予報できたにちがいない。
それにしても当時の2人は若い。
赤壁の戦いは、孔明が劉備の軍師となった後、大きな活躍をした最初のデビュー戦というべきもので27才、周瑜は孔明と6才ちがいの33。物心ついてから天候のデータを頭脳に蓄積する期間はわたしなどよりずっと少ない。
ちなみにこの戦勝の2年後、呉の美周郎、周瑜は早世した。

2005年3月3日(木)
擬狸化?

タヌキに人間の言葉を話させたりするのは擬人化というのだろうが、このわたしがタヌポンと称してタヌキの振る舞いをするのは擬人化ならぬ擬狸化と呼ぶべきものであろうか。
とても人間をだますことができない人のいい(これもヘンか?人柄?タヌキ柄)タヌキのつもりでいるが、ことわたしの場合、だますという唯一の能力すら持ち合わせていない無能な動物というのが真相だろうか。
擬狸化が進行したせいか、つい先日、「狸囃子が化けた音」と題したコンテンツを公開したがそのなかで亡父のことを鬼畜などと最初、記してしまった。鬼籍に入ったとすべきなのにそのときなぜか松本清張の小説のことを考えながら書いていたせいかそうなってしまった。
息子に鬼畜と言われるようではわが父も情けないが、なんとなく誤りに気づいたのがコンテンツをUPした翌朝、家を出た直後で、なんとその夜、帰宅時にそれを修正するのを失念し、さらにもう一日、哀れな父は鬼畜のままとなってしまった。
これではお擬狸でも孝行息子とは言えない恥ずかしい話である。

2005年2月28日(月)
ツキか超能力か

デジカメが当たった話を同僚のHさんにしたら、羨ましがられながらも祝福してくれた。
しかし、それが自宅に送られてきた金曜日の朝、わたしはHさんからとても「奇妙な」話を聞いていたことを思い出した。
それは前日にロト6を彼が買っていてその当選番号を知り天を仰いだという。
というのは、彼の選んだ番号は・・・・
06 13 27 29 31 35
そして、当選NOは
06 13 17 29 32 36
なるほど、これでは見事というか不運というか。
もしかするとHさんにはその「能力」があるのかも知れないが、
残念ながらこれは1等とは似て非なる3コの当たりでたったの1000円である。
嘆くのもわかる。
ほんの少し違っていれば1億円だったのだ。
3万なにがしのデジカメとはケタがちがう。

ロト6の1等の確率は確かこんな計算だったと思う。
43コの数値から6コを選ぶのだから
6!/43*42*41*40*39*38
=1/6096454
正確にいえばnコからrコを選ぶ確率は
(n−r)!r!/n!
[※!は数学用語で階乗を示す。例えば6!=6*5*4*3*2*1]
3つだって当たるのは難しいのではと思うがこれは意外と確率は高い。
約1/39である。
3コならまあまあ当たるが、4コから急に難しくなり5コは至難、6コは一生、買い続けてもムリというような確率(ちなみに1等を「力ずく」で当てようとして毎週5口買い続けても20000年以上かかる計算)である。ほかの数値が「いかに近接していようとも」ハズレはハズレ。Hさんの戦績は結果的には平凡な5等ではあるのだが・・・。
でも少し、超能力がありそうなHさんとデジカメが当たったわたし、今年のツキはどっちが上か?
カジノのkeno(キノ)によく似たロト6、まだ一度も買ったことがないが、こんど買ってみようかな。デジカメツキに乗じてさらにHさんを悔しがらせることができるかどうか。
次に彼が買う数値が見ものである。Hさんの話では前回選ばれた6つの数値のひとつを入れ込むのがコツと「その道の名人」が言っているそうだが、計算すればその確率はきっと高いと思うけど・・・。

[※keno(キノ)は80コから15コの数値を当てる。ただし正解は20コあり、ひとつひとつに倍率(オッズ)を設けているなど、まあまあ楽しめるギャンブルだ]

2005年2月26日(土)
デジカメを撮る幸運

デジカメでデジカメを撮る昨夜、帰宅したら宅配便でデジカメが届いているという。
買ったおぼえはなく、これはまたアクドイ商法のなせるワザかと不快な思いで梱包を解いてみると、ビックリ!
締切り間際で1月に応募したIBMホームページビルダーV9のWチャンスキャンペーンに当選していたのだ!
しかも最新型のPanasonicのLumix、いま浜崎あゆみのCMに出ている製品である。

宝くじは別として何か商品懸賞などに応募するということはあまりないわたしなのだが、当然、モノが当たったためしはない。
高校生の頃、割と確率のいい新聞掲載の詰将棋を解いて応募し手彫りの将棋の駒をもらったのが唯一である。詰将棋の場合、応募するには難問を解くという少々応募側の努力が必要なので、正解に自信があったから期待通り当選できた。してやったりと思ったものだ。
しかしこうした問題解決のないだれでも運さえよければ当たるという懸賞は、疑り深いわたしは厳正な抽選というのがあまり信用できなかったし、そうでなくても確率的に「イイモノ」が当たるとはとても思えなかった。昔、仕事で、ある応募キャンペーンの抽選会場に行ったとき確かに抽選は厳正に行われていたが、会議室2部屋程度の広さに設えた何台ものテーブルに置かれた100万通のハガキの圧倒的なボリュームには途方に暮れた。これではとても当選しない!
しかし、「本当に当たることもあるんだ!」と今回は正直、驚いてしまった。たった15名なのに。
「IBMさん、ありがとうございます。さっそく使わせていただきました」
感謝を込めてIBMのマニュアルに当選のデジカメを乗せて・・・とこの掲載写真はどうしても別のデジカメで撮らねばならない。携帯でも撮れるけど、こうできるわたしは幸せである。

2005年2月11日(金)
凧あげ大会の主役は?

凧あげ大会利根川の緑地運動公園で凧あげ大会をやるというので見に行ってみた。
きょうはよく晴れてそれほど寒くない上に、風も結構、強く吹いているという、まさに絶好の凧あげ日和だった。
そのせいか想像以上に参加者がいて、とても広い河川敷に比較して寂しいイベントという感じはしなかった。
わたしは子供のころはそうでもなかったが、年をとる毎にこうしたイベントを見に行くのがおっくうになっている。
そんなに価値観を感じないせいもある。
「初物」を取り扱う「・・・博覧会」の類でさえそうなのだから、ほぼ内容が想像できる凧あげ云々やなんとか祭りなどのイベントなどにはこれまであまり食指が動かなかったのだ。

ところが数年前に何かの拍子に昔、受験勉強で仕方なく読んだ、というより学ばざるを得なかった徒然草をたまたま見る機会があった。そのとき、ある味わい深い一節に出会った。
それは「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」で始まる第137段である。
そこには確か祭りを見るというより一日の移り変わりを見て楽しむのがいいというような趣旨が書かれていた。
またほかの何かの本には、イベントとは催事そのものよりそれを見に来る人を見て楽しむものである、というようなことも書かれていた。
なるほど。
年齢を重ねないと分からないこともあるんだなと思ったものである。

会場に向かっているとき、町の中心から意外と距離がある運動公園の所在地が分からず大会の開催自体を怪しんでいる親子連れに出くわしたり、埼玉県から丈が4mもあろうかという大凧を持参している凧大好き人間のグループがいたり、わが子よりも凧ばかり撮影している工作好きらしい父親や飲んだり食べたりばかりしている審査員らしき人などさまざまな人間模様がそこにあった。


会場を去るとき、大凧が天空からわたしを見ている、そんな気がした。

2005年2月10日(木)
目からウロコ

発見があってもすぐ書き留めて置かないとたちまち忘れてしまう。
ここ何日もこの日記を記すことができなかったのは、発見がなかったというよりあってもすぐそれを忘れてしまったからかも知れない。まあその程度の発見ではあるのだが・・・。

つい先日、とても面白いことを「発見」してびっくり仰天とまではいかないが、なるほどと思ったことが(確か)あった。そのとき、発見の瞬間になんと「目からウロコ」がポロリと落ちてしまった。

しかも、不思議なことに「目ウロコ」というくらいだから眼前が以前より明快に見えるのなら話がわかるが、急に視界がぼやけてしまったのだ。
このアンバランスな感覚!

ほんとうにウロコが落ちたのに、である。
床に落ちる音すら、したのである。ぽとりッ、と。

その落ちたウロコを取り上げてみると、なんとメガネの左目のレンズだった。
なるほどこれでは焦点が合わないハズだ。
そう言えばその少し前に家の床につい置き忘れていたメガネを思わず踏みつけそうになりあわてて拾い上げたことがあった。そのとき、間一髪セーフと思ったのだが、少々間に合わずにほんのわずかだが踏みつけてしまってフレームが若干、歪んでしまったらしい。わたしの体重では少しといっても相当の圧力がかかったことと想定する。そのせいでレンズが落ちやすくなってしまっていたようなのだ。

なにもそんなときに限ってレンズが落っこちなくてもよさそうなものなのだが、それがちょうど何かを「発見」した瞬間だったのだ。

ところが、あまりの驚きに、そのとき肝心の「最初にどんな面白いことを発見したのか」その内容を失念してしまった。
いまも思い出せなくている。

でもきっと「目ウロコ」を疑似体験してしまったことのほうがそもそもの発見事項より価値があったのではないだろうかと思って納得することにした。

2005年1月18日(火)
イタタタタタ!

年末年始にパソコンを同じ姿勢でやりすぎたせいか背中と両脇腹を痛めてしまった。それでも同じことを繰り返しているのでついに強烈に痛くなりとうとう休みをとってしまった。
もしかして内臓にどこか悪いところでも・・・と思ったがやはり運動不足なのだろう。
歩くだけでも痛いのだが、寝ているより少し動いていたほうがと思い切ってイタタタタと叫びながら散歩にでかけた。
結果から言うと正解で約2時間散歩して汗もかき、痛み自体は収まっていないが少し体が動くようになった。
散歩で発見もあった。
30分ほど歩くとなんと「太鼓」の音が聞こえてくる。
さては「狸囃子か?」と胸騒ぎがしたが・・・足の向く先は小学校。
音源をたどれば体育館で、どうも子供たちのブラスバンドの練習ということがわかった。
サイト開設以来、一度も狸囃子を聞けていないのもイタタタタである。
地元の寺を数ヵ所回って写真を撮ったりしたが、もともと生まれがここではないのでちょっとした郷土史的な知識はまるでなく、ひとつひとつが白紙から調べなければならないし、あとからあそこが名所だったのかなどというムダも多くなる。
郷里の金沢にいま住んでいたとして、金沢のことを書くのなら、いろいろなツテもあり記述もスムーズにいくのになあ、と思った。いまは亡き父母のことを思い浮かべる。親孝行もまるでしていなくてその上さらに自分勝手な思いなのだが、父母が存命でなおかつ現在わたしが行っているサイト構築をしている場合を想定すると、いろいろ聞けることがあるだろうにといまさらながら思う。
でも、地域のことを丹念に調べているのは案外、他県からそこに移り住んだ人が多いような気もする。「若柴の散歩道」の和平さんもそうだし。
古都金沢のことなどいまからわたしが書いたって先人の万分の一のデータも作成できないだろう。
なんていう感傷に浸っていたら思わずくしゃみが出て、イタタタタタタタタタタ。
寒くなった。散歩の締めくくりにいつもの自称「桜公園」に行ってみると・・・。
なんと!!!(このあとは「イントロの刺身」<3品目>追記「またまた・・・新発見」をどうぞ。

2005年1月17日(月)
Mの悲劇

昨日、表題のドラマをTBSかどこかの局で放映していた。
妻が一生懸命、見ているので少し気になってのぞいてみたがサイコサスペンス風でなかなか面白そうな感じだ。
で、そのとき初めて題名はと聞くと「Mの悲劇」というので、うーん、エラリー・クイーンの何かを日本風に仕立てたのかななどといい加減な記憶をもとにいい加減に想像していたが、エラリー・クイーンはXYZだから、どうもちがう。(Xの悲劇、Yの悲劇、Zの悲劇という著名なミステリーがある)
ようやく夏樹静子氏のWの悲劇を思い出したので、きっとMの悲劇もあったかも・・・とこれまたいい加減な一人合点をして
いた。
きょうになって思い出して調べてみると、確かに夏樹静子氏著作にMの悲劇があるが(わたしはまだ読んでいない)、どうも今回のドラマとは関係ないようだ。
不思議なことに制作スタッフはいろいろ記されているが原作者がどこにも書いてない。
どうしてなんだろう?
夏樹静子氏のMの悲劇の存在をたまたま知らないで作った別の作者が、ドラマ放映直前にそれを知り、いまさら改題もできないのでそのまま進行し、原作者の名前を伏せたのか?などとつまらない想像をしてみる。
著作権に抵触することならそんな対応で免れるわけもないし、大民放局が許すわけもないだろうからわたしの想像はまったく違うと思うが、ちょっと不思議だ。
ところで、このことで、小説などを書いて既存にある著作物とまったく同じ題名のタイトルをつけたとしても大丈夫なことがわかったが、果たしてほんとうにそうなんだろうか?
たとえば「民法総則その1」なんてのは許されそうだが、わたしが「蛇にピアス」や「限りなく透明にちかいブルー」なんて本を発表しても許されるのだろうか?(やらないけどね)

2005年1月16日(日)
香箱蟹とヤドカリ

東京にきて驚いたことのひとつに東京人のカニ好きがある。
「カニはうまいねえ」「ああカニが食べたい!」「生まれ金沢だって?いいなあ、カニいっぱい食べたでしょ」
などととてもうるさい。
まあ、その気持ちはわかる。カニはたいへんおいしい。
しかし、最近は少し分かっている人も出てきているのだが、金沢のカニは東京人の言うカニとは基本的にちがうのである。申し訳ないのだが、東京人がうまいうまいと喜んでいるタラバガニはとてもカニとは認められない。現実にタラバはヤドカリの一種でカニではない。あくまでも比較論であってわたしはタラバが嫌いではないしまずいというのではない。ただ東京人が「北陸はカニが食べられていいねえ」という場合、そのカニはタラバを含めたカニという総称で言ってもらいたくない。
「ああ、知っている、ズワイガニでしょ?確かにズワイのほうがおいしいかも」
おいしいかも、ではない。雲泥の差がある。しかし、それでもまだ意味がちがう。
金沢人のいうカニとは香箱蟹(こうばこがに)のことを指す。
ズワイガニのメスだけをそういう名で呼ぶのである。
これ以外はカニとは認められない、というくらいにわたしは思っている。
わたしは魚卵が好きなのだがカニの子も当然、好物で、実はこの世でいちばん好きなのがこの香箱蟹の子なのである。
香箱蟹の子には内子と外子の2種類があってどちらも美味なのだがとくにカニミソに包まれた内子がたまらない。これ以上においしいものをわたしはまだ知らない。
香箱蟹はこの子を食べるのがすべてである。オスのズワイガニと比べて体は小さいし身は少ない。
したがって金沢人(少なくともわたし)のいうカニというのはこの香箱蟹の子に集約される。東京人のカニの概念と明らかにちがうことがこれでわかるだろう。北海道の毛ガニもおいしいし花咲蟹(これもヤドカリ類)も珍しいが、それは金沢の香箱蟹を食することとは基本的にちがうのである。
だから東京で「カニを食べにいこう」と誘われてもあまり乗り気にならない。香箱蟹が出てくることは100%ない(あるとすれば高級料亭だろうか)し、他のカニでもおいしいが身をとるのがとても面倒臭い。
コンテンツのイントロの刺身で冬の旬のものとして香箱蟹をと思ったが、なんと1月10日で今冬のカニ猟が締め切りとなっている。乱獲を避けてそのように決まっているのだ。値段も年々高くなるようだ。オスだけ注文しても意味がないが香箱蟹を知らない東京の人ならそうするだろう。
かくして香箱蟹の撮影はできず、コンテンツ作成は今年の年末まで待たねばならなくなった。
(ほんとうは香箱蟹の存在はあまり大都市に知られたくないと思っている。みんなが注文するようになったら、値がさらに上がり庶民にはとても手に入らなくなる恐れがあるからだ)

2005年1月9日(日)
オジサンとミカン

中年男ABCの会話。

週刊誌のグラビアを開いて・・・。
A「この
網タイツってのがやっぱりソソルね」
B「うん」
C「うん」
B「もう読んだんだろ、貸してよそれ。新幹線の中で見るから」
A「いいよ、法事で郷里帰るんだね」
C「汽車といえば・・・みんな
冷凍ミカン、好きだろ?」
AB「???・・・☆!!ああ、好き好き!」

2005年1月3日(月)
初梅
早尾天神の紅梅梅ってこんなに早く咲くものなの?
利根七福神のひとつの福禄寿が祀られている早尾天神に行ってみた。長年、この近隣に住んでいてここを訪れるのはわたしは初めてなのである。いかに地元に密着していないか、あるいはデブ性なのか。まあ天神様だから合格祈願が主だからサラリーマンにはちと縁がなかったかも知れない。
そんなわたしなのに早尾天神は早咲きと言っていいのか美しい紅梅の花を咲かせて迎えてくれた。
今年というか今冬というか、すでに初雪は降っているのだが果たして暖冬なのかどうなのかよくわからない。きょうは風が強く家を出たときは寒いのかなと思ったらどうも北風ではなかったようでそんなに寒くはなかった。しかし、きょう一日の暖かさで蕾が膨らんだとも言えないだろう。昨夏の猛暑と晩秋の暖かさがここまで影響しているのだろうか?
妙に感心していると、妻は「初日を見て今頃になって幸せな気分になったなんておかしい」などと言う。
仕事にしろ遊びにしろ宵っ張りのわたしだが、この年になるまで初日をまじまじと見たことがなかった。たとえば徹夜マージャン帰りの朝日は自棄に目が痛いだけで、勝負に負けたときなど美しいもなにもなかった。
それを元日の日記を読んで知った妻は笑いころげた。
紅梅に感心するのもおかしいか?まあ、花見より花見酒のクチだからね。
2005年1月1日(土)
利根川の初日

日の出が6時50分頃というので20分頃に家を出た。
まだ薄暗い。
こちらは雪が降らなかったが道は少し氷結して滑りやすかった。
利根川にかかる栄橋のうえに行くともう先客が何人かいたが多くはなかった。
橋の西側は少し風が吹きつけていたが東側はそれほどでもない。
待つこと30分。7時を過ぎても日は見えない。
東の空はどんよりとした厚い雲に覆われていた。
手がかじかむ。吐く息の白さに暑かった昨夏を思う。
諦めて立ち去る人がいたが西のほうは明るくみるみるうちに雲が切れていく。
栄橋から西方を望む
西側の景色は素晴らしく、ときどき名も知らぬ鳥たちの群れが飛び交っていく。

栄橋から富士山
なんと富士山も見えた。(写真ではちょっと小さくてわかりづらいが)
栄橋から富士山が見えるなんて今まで知らなかった。
カメラマンらしき人が珍しいなと呟いていた。

しかし、雲はまだ天球の半分を覆っている。
わたしはどうしても初日が見たかったので、先にすぐ近くの徳満寺へ初詣に行くことにした。
それを終えて7時30分に橋に戻ってきたときはもう誰もいなかった。
すごい機材を抱えていたあのカメラマンももういない。
西の空から広がってきた空は雲を追いやりもう少しで太陽が覗く。
それが雲間から顔を出したとき・・・。
利根川初日
初日がこんなに美しいものだとは知らなかった。
白く、キラキラしていた。
眩くて闇雲にデジカメのシャッターを押した。
7時40分、定刻より約1時間も遅れて少し高くなった初日ではあったが、とても幸福な気持ちになった。
来年も来よう、と思った。
わびさび写真館:利根の初日スライドショー

2004年12月31日(金)
転機の年

忘年会の「忘年」とか、来年こそ、今年こそいい歳で・・・という「こそ」には、行く年の辛さ、苦労が語られている。
しかし、わたしはいままで幸福だったのかそれとも鈍かったのか、こんなイヤな年は早く終わってぜひとも来年をいい年にしたい、と強く願うことはなかった。
神頼み的なことがあまり好まないからなのか、それらが慣用句だから実感が薄かったのか。
しかし、とくに新潟県の人びとが今年、被った数かずの災いのことを考えると、こんな年は早く忘れてしまいたい、来年こそはと願う気持ちがひしひしと伝わってくるような気がする。
そんな被災地の人たちとは比較にならないのだが、わたしも初めてそんな気持ちにいまなっている。今年は、わが家は天変地異の被害はまったくなかったわけだが、いろいろな試練がふりかかってきた。
来年をなんとかしよう、と強く、思う。
しかし、わたしの場合、今年を忘れる、ということもできない。
なぜなら、このサイトを開設したのも今年だからだ。
年賀状にもまったく手をつけずに、この幾日かひたすら明日元旦にUPしたいリニューアルTOPページのレイアウトにとりかかっていた。
いつも年賀状の決まり文句に、「転機の年」などというフレーズを意味もなく入れていたのだが、わたしの2005年はまさしくそれを実行しなければならない歳になりそうだ。
余談だが、ワープロはだじゃれ名人を確実に育てている。今年はさながら悪「天気の年」だった。
ところで、降る降ると言っていた大雪は、どうした?
(こちらは月が出ている)

2004年12月29日(水)
ゆうきがふるう
雪景色

ことしはほんとに何でもあり、の年だ。
昨夜からの天気予報で東京など関東地方にきょうの午前中に雪が降るということだった。
これは珍しいと思って、大掃除の早朝ゴミ出しも頼まれて、わたしは徹夜して控えていたのだが、朝、外を見ると、雨。
都心では「ちゃんと」降っているらしい。
がっかりして、寝てしまったのだが午後、起きてみると・・・。
これは、撮らざるを得まい、とあわてて外に出た。もう4時だったので、すぐ日没になってしまうからである。
故郷が雪国なのでかねてより体験して知っていたことなのだが、余程の追い風の吹雪でない限り、歩くと雪は顔面に襲いかかってくる。雨より落下速度が若干、遅いためか雨よりもその確率が高くなる。
メガネなどかけているわたしはこれにはとても閉口させられる。撮影もしづらい。
しかし、コンテンツ充実の数少ないチャンスを逃す手はない。
デジカメ・携帯・帽子をとって、それっ利根川方面へ。
雪は案外、寒くはないものだ・・・ってやっぱり寒いか。
とんぶら〜ねいじゅぅ♪ なんてアダモの哀愁のサウンドなんかを口ずさんでみる。
いつ聞いても悲しい曲だね。わたしは少しおなかが空いてきたけど・・・。
猛暑や台風、地震
と天変地異オンパレードの2004年だった。
わたしの個人的な生活も異変に襲われた。
この雪は、来る2005年に向けて、「勇気を奮う」わたしを暗示させているようだ。
(♪Tombe La Neige です、念のため)

2004年12月25日(土)
がんばれ、ジャイアントコーン・・・・Mr. Keith に捧ぐ
ジャイアントコーン

わたしは酒をよく飲むのだが、肴はやはり魚のほうがいい。でも、時と場合によっては乾き物を注文せざるを得ない場合もある。そうは言ってもアーモンドやカシューナッツなどは大好きだし、柿の種なんかもいい。それらよりも魚介類のほうがより好物であるということなのだが・・・。
しかし、乾き物には少々、苦手なものもある。

先日、親しい友人の送別会の二次会で銀座の並木通りにあるBRICKという店に行った。リーズナブルで雰囲気のいい店である。
そのとき友人がオーダーしたのが「ジャイアントコーン」だった。
人物に例えればよく顔と名前が一致しないときがあるが、このときがそうだった。わたしは「ジャイアントコーン」という名を知らなかったのである。なんかおいしそうで、「いいね」なんて言ってたのだが、ボーイが運んできたもの(写真)を見て驚いた。
あの例の固いやつ、ではないか。わたしは豆の一種なんだろうと思っていた。塩豆というのがあってあれもあまり好きではない。
歯が悪いわけではないけれど、どうも固い物がわたしは苦手なようだ。
でも、軟骨などは「骨」というだけで固そうで毛嫌いしていたのだが、あるとき評判の店で恐る恐る食べてみると、これがおいしくてすっかり軟骨のファンになってしまった。
余談だが魚卵が一番好きなのだがキャビアはそれほどうまいと思ったことがない。「おいしいのを食べるとちがうのよ」という食通の女性もいたがそんなに高いのは食べたことがないからわからない。でも軟骨の件があるからいつか高級キャビアに出会って開眼することを期待している。

食の好みがわたしとはかなり異なる友人ならではのオーダー品、ジャイアントコーンであったが、これももともと食べられないというわけではない。
なんのことはない。わたしはほとんどひとりでそれを食べてしまった。噛み締めてみるとけっこういい味を出している。
知らないことは無数にあるが、知らない事実を楽しく発見することは少ない。
それでも、友人とわたしの人生の「サイト」更新が充実することを希っている。

2004年12月23日(木)
.files の不思議

インターネットのあるページをデスクトップなどへ「名前をつけて保存」すると、そのページのタイトルに「.html」の拡張子がついたHTML文書ができることはだれもが知っている。これを仮にグーグルのTOPページとしたら「google.htm」というファイルができるわけだがこのとき同時に「google.files」というフォルダもつくられる。このフォルダの中味をのぞいて見るとgougle.htmのページにリンクしている画像などが格納されている。
この2つのファイル(正確には1つのHTML文書と1つのフォルダ)は互いにリンクしていて片方を移動・削除するともう片方も同様に移動・削除されてしまう。
わたしはあるとき何かのサイトのページを保存した後、このフォルダだけを残してgougle.htmに該当するHTML文書を削除しようとしたのだが、どうもうまくいかない。
フォルダの中の画像が欲しかったのだが、そのひとつひとつを別にコピーしていくことはできるのだけれど、フォルダごとそのまま残したいと思ってHTML文書を切り離そうとしたのだが・・・。
フォルダ名を変えればいいのかと思ってそうしようとすると、「元のHTML文書を別名で保存してからでないとダメだ」とか言ってくる。(あとで再度、確かめてみるとそれでも強行すれば変えられるようだ)

そこで、これらの関係が最小どの部分で成り立っているのかHTML文書のソースをひとつひとつ見ながら調べてみることにした。
そうすると・・・HTML文書のなかで<IMG src>や<A href>で呼び出している、そのこととは実はまったく関係がないことがわかった。
つまりWEBからダウンロードしたときついてくるフォルダの中味がすべてリンク関連ファイルであるにもかかわらず、そのことはまったくフォルダとHTML文書の「同一行動」とは関係がないのだ。極端に言えばフォルダの中味がカラで、HTML文書とはなんのリンクもされていなくとも(ソースでリンク表示が皆無であったとしても)この「・・・.html」と「・・・.files」はともに行動するのだ。

ということは、「同一行動」は、この「.files」という拡張子がフォルダ名についているかどうかがすべてなのである。

この性質は、WEBを作成するときやファイルの整理などに利用できる。
ある下書きのHTML文書をどこかに保存しておくとき、まだソースに記述していないリンク画像や関連ファイルなどのネタをしまいこむフォルダをつくっておき、その名前をHTML文書のTITLEに「.files」をつけたものにしておくと便利だ。中味はなにもリンク画像でなくてもメモテキストでも何でもいいのだ。
HTML文書を移動するだけでネタのフォルダも同じところに動いてくれる。
.filesは拡張子(のよう)だからこれはWindowsの機能なのだろうか。フォルダに拡張子がつくとは、拡張子だけしかない.htacessというファイルと同様に奇妙なファイルだ。

それにしても格納ファイルがゼロでも1コでも「.files」とは愉快だな。

2004年12月11日(土)
方形の月
武江年表を読んでいて最初に見つけた興味のある記述。
以下、その原文を紹介しよう。

慶長十四年 己酉(つちのととり)(1609)
三月四日、月の容(かたち)、方(けた)にして現る(『皇年代畧』に、「方形月出、満没如臼[方形の月出づ、満没うすづくが如し])

これは武江年表本体の記述ではなく校訂した今井金吾氏の補注の文章である。
臼づくの漢字は実際は、春の文字の日の部分が臼になる字なのだが、ここでは表記できないので臼とした。


方(けた)とは四角という意味である。
前方後円墳という言葉で、おそらく大半の人は四角の意味の「方」を生まれて初めて学ぶことになるだろう。(余談だが・・・恥ずかしながら、小学校の苦手の社会科の時間では、よく授業を聞いていなかったわたしは前方を文字通りの「前のほう」と勘違いしていた。よく考えれば、「前のほうが後ろの円」ではまったく意味がなさないのだが、前が四角で後が円形の古墳と正確に認識したのは高校生になってからだった・・・どうして四角いほうが前なんだろうか?)

さて、方形の月。
四角い月、とは面妖な話である。出典は皇年代畧というものらしいがどんな文献なのだろうか?
方形の月をWEBで検索してみると、「山口県の星の文化史」というサイトで資料として岩邑年代記(岩国徴古館)というものがあり、そこに興味深い記事が掲載されている。(詳細はリンク先参照)

地球大気の屈折によるもの、あるいは新星誕生の目撃例などという説もあるらしいが、結論的には、謎である。
400年たった現代以降、また同様の現象が果たして起こるかどうか。
異常気象、天変地異の続いた今年なら、年末の押し迫った頃にでも・・・。
2004年11月26日(金)
武江年表と甲子夜話

狸囃子の原点とも言える「本所七不思議」が載っているという岡崎柾男著の「両国・錦糸町むかし話」。中古でしかもう手に入らない本なのだろうか、amazonのマーケットプレイスで先日、見つけて注文した。
読んでみるとその本所七不思議にも出典があり、「武江年表」(ぶこうねんぴょう)という本に「本所のばけ太鼓」として出ているという。ぶこうとは蔵国の戸という意味である。

「武江年表」を調べてみると、それは徳川幕府為政下の江戸の地理、風俗、巷談、異聞など百般にわたる見聞記という。斎藤月岑(げっしん)という人物の著作で、江戸時代の考証・研究に欠かせないものという。今井金吾という方が校訂した文庫本が筑摩書房から出ている。素晴らしい本らしいのでこれも上中下のうちとりあえず上巻だけ買ってみた。

わたしは気に入った本があると一気に全巻、購入してしまうことが多いのだが、今回は上巻だけとした。
というのは、狸囃子の記述が3巻のうちどの巻に記載されているかわからないことと、岡崎柾男氏がもうひとつ、これまた興味深い「甲子夜話」(かっしやわ)という本も紹介していたからだ。「甲子夜話」は江戸時代の平戸藩の藩主、松浦静山が書いた、278巻に及ぶ随筆集である。これにも静山自らが狸囃子の音を探ろうと家臣に調べさせたことが記述されているのである。

この本も電子書籍で手に入れることができるのだがなんといっても大部で全6巻。そのひとつが奇しくも、「武江年表」1巻の値段と同じ1,470円である。そして、これもどの巻に「狸囃子」が記載されているか不明である。
全部そろえるには1,470円×(3+6)=13,230円も必要で、さらにわたしは別にいま、1万円もする図鑑を2冊買いたいなあ、と思っているところである。その上、新しいパソコンも欲しい、と何かとたいへんなのである。

しかしながら、推理小説や雑誌以外のこういった史料本を購入したいと思うことがこれまであまりなかった。
昔、勤務先にいた女性のご主人が蔵書を売却しようとしたとき、高く売れる本というのは彼女が見て何の興味もない「がらくたのような本」ばかりで、装丁の美しい新刊書や愛好していた文庫本などはまさに二束三文に評価され、売るのがばかばかしくなったと言っていた。
目利きが値を付ける本というのが、興味のない人には「がらくたのような本」に見える「甲子夜話」とか「武江年表」というような史料となる書籍なのだろうといまさらながらに思う。

この年になるまでそんな本に興味をもつことがあまりにも少なすぎた。
興味を感ずる才能が希薄だったというしかない。
大学時代、いかにまともに勉強していなかったことだろうか。もっと早くに、こうした「素朴な疑問」を多く抱いて、これを調べようとしていればおのずから学問が楽しかっただろうに・・・と悔やまれる。

しかしながら、いまやっとその片鱗でもわかりかけてきたのはありがたい。
すでに知っていたことだが「武江年表」上巻を少し読み始めると、オランダ人ヤン・ヨーステンが来日して住んだところから八重洲の地名が生まれたことなどが記載されている。出典はこれだったのかととても感慨深いものがある。

懐具合と相談しながら気長に読んでいってみよう。狸囃子の記述が見つかれば「甲子夜話」の記述と合わせて「狸囃子について」の項目で紹介しようと思っている。

2004年11月2日(火)
霧害?
昨晩から今朝にかけ自宅付近は霧に覆われた。
この地区に来て驚いたことは住宅地で霧が発生することだ。

初体験はタクシーに乗って帰宅しているときだった。
運転手氏によれば彼はもう慣れっこで、
「利根川が流れてるからね」。

川霧は年に何回もあるという。

確かにそうで、真夏より晩秋か春先に多い。
昼間暖かくて夜、急に冷え込んだときに発生しやすい。
そして霧が出た翌日は快晴になることが多い。

きょうもその例に漏れず、朝霧が晴れると秋晴れのいい天気になった。
よくよく考えるとそのしくみがわかる。
たとえば、晩秋の暖かい日とは、西高東低の気圧配置が崩れているとき、すなわち東か南に高気圧があり西からの前線か低気圧が通り過ぎる前くらいのときだ。
高気圧から低気圧へと気流が流れるから、東南から比較的高温の風が吹くことになるので気温が上がる。
そして雨が降り終わり湿気がたまったところで低気圧が東に通り抜け、西高東低の気圧配置となる。
このときはシベリヤとはいかなくとも、北の中国方面の冷たい高気圧からの気流が北西から吹いてくるから気温が下がるわけだ。
その変化が激しかったり、ちょうど昼から夜にかけて起こるとこのような霧が発生することになるのだろう。
雨が降らないときも、もともと湿度がある利根川など大河の近辺では温度差により霧が発生することになる。

霧はなかなか風情があってわたしなどは柄にもなくロマンチックな気分になるのだが、最初の体験時にタクシーの運転手は、そんなわたしの思いを知ってか知らずか舌打ちをしながら、
「ガスがでてきやがった」。

運転し辛くなるわけだからタクシーの天敵ではある。
そう言えばミステリーの3大奇書のひとつと呼ばれる中井英夫の「虚無への供物」で、洞爺丸の事故のことが出ていたけどあれこそ「霧害」のせいなのかな・・・と思ったが、翌年の昭和30年の紫雲丸の沈没事件だったかも知れない。
趣はあっても霧は「無害」とは必ずしも言えないようだ。

しかし、それにしても、「ガス」とはまた無粋ないい様だなあ。
霧の戸田井橋小貝川の霧を望む
午前7:30現在の戸田井橋(茨城県取手市・小貝川に架かる橋)近辺 戸田井橋と小貝川を望む
2004年10月28日(木)
春は淑女、秋は熟女
木蓮の実10/23これは何の実(あるいは種)だろうか?
一週間ほど前、庭に出てみて気がついた。これはもくれん(木蓮:色は紫)の実なのだ。
2.3年前に花屋で苗木を買って植えてみたのだが1年ではほとんど花も咲かず、あまり手入れなどもしないでほうっておいたのだが今年の春は一気にたくさんの花が咲いた。
へぇーっと驚いていたのだが今度は、その強烈なメタモルフォーゼに再度、驚かされた。
もくれんをよく知っているひとなら例年、見慣れていることなのだろうが、実がこんな風だとはいままでぜんぜん知らなかった。
なお驚いたことに、もう少し経つと、このオレンジ色の果肉が熟れてきて、糸を引きながら垂れ下がってくるらしいのだ。
そうなったらまた写真にとってみるつもりだが腹を空かせた鳥たちがきれいに食べてしまうかも知れない。
初春から清楚な美しさが際立つもくれんだが、晩秋は別の意味でアピールが強いようだ。(写真=04/10/23撮影)
木蓮10/30追記:ちょっと目を離しているあいだに実は果肉がとれ、真っ黒な本体が現れたが、いつのまにかそれも落ちてしまったのか、現在は左の写真のようになってしまった。
(04/10/30追記・撮影)
(2枚の写真はクリックすると拡大できます)
2004年10月15日(金)
インターネットの限界

何かわからないことがあっても、用語をうまく入れ込んで検索すればほとんどすべての問いに答えてくれるインターネット。
ホームページを創る企業や一般人が増えれば増えるほどその内容がさらに充実していく。
しかし、きょう、ひとつだけその限界?に気づいた。
ある調べものをしていて、その追求が過去に遡れば遡るほど、検索結果が乏しくなって、図書館の文献等に頼らざるを得なくなることだ。

また、現在、65歳くらい以上の高齢者の個人的なノウハウや知識への対応もある。
現在その年代で個人のWEBを開設している人は少ない。
企業においてもパソコンが1人1台となってきたのもWin95が登場して3年ほどたった1998年ころだろうか。それから便利なHPビルダーなどのソフトも出たりして飛躍的に個人WEB Siteが増えた。
しかし、
いまの70歳くらいの人でWEBを開設しているのはWin95が登場する前のわたしなどがとても歯がたたない難解なプログラムをこなしてきた数少ない人たちだ。
したがって大学の老教授などの研究は、助手や大学や企業などがそれを電子化しない限り、WEBにはなかなか反映されないだろう。
古文書や文献なども出版社などが電子化への移行作業を順次進めているとは思うが、時間がかかるだろうし、何よりも、比較的著名なもの以外はそれから漏れてしまうのではないかと思う。
かくして神田の古本屋はまだまだ必要な存在であるが、わたしなどは、すべてインターネットでことが足りる、という状況を望んでいる。横着な話しだ。

2004年10月3日(日)
狸囃子その後

狸囃子がきこえない家」になっている。
このサイトを開設する1月も前から注意しているのだが、一向に聞こえてこない。
はやくそれを記録したいと少々あせっている。
先日、それらしき音を日中、散歩の途中で聴いたのだが、時期が時期だけにホンモノの祭太鼓のほうというしかないだろう。気になる果実・彼岸花文末参照
利根川を渡った布佐方面でその頃、御輿など出る催しがあるということで、妻が「確かめに行ってみる?」と言ったが、自信がまったくない合格発表を見に行くような気がしてやめておいた
さきほどトイレに入って気がついたことだが、今頃は虫の音が相当うるさく聞こえてくる。
いままで狸囃子は、そんな虫の音の合間を縫って聞こえてきたような感じがしないのである。
別の何かの音が混ざって聞こえてはこなかったような気がする。
もちろん、雨のときは聞こえない。虫の音はほぼ一晩中聞こえてくるので、もしかするとこの時期は狸囃子が聞こえない時期なのだろうかとも思えてくる。
虫が死に絶えて、晩秋になったころか?
サイトを開いて以来、家族にも、聞こえた日はちゃんと知らせてくれよと言ってあるのだが、娘は意外なことを言う。
「狸囃子?春先じゃなかったっけ?」
おいおい、そうかよ?

2004年10月2日(土)
さんまがうまい理由
さんまことしは秋刀魚(さんま)がとてもうまい。
さんまがこれほどうまい魚だとは実は思っていなかった。

わたしは故郷が北陸で魚は大好きである。しかし、さんまは日本海の魚ではないため郷里にいたときはそれは小説のなかだけの魚だった。
東京に出てきて初めてさんまを食べたが、まあ低級魚だからなあ、という印象でしかなかった。
東京の人はうまい魚を食ったことがないから、さんま程度でうまいうまいなどと言っているのだ、と思ったこともあった。

だが、ことしのさんまは初めて食べて以来、この30数年間で最高の味だと思う。これなら、さんまはうまい魚の仲間に加えてあげてもいい。

豊漁だという。
だから新鮮なさんまが手に入りやすいということかも知れないが、毎年、新さんまと称されたさんまを食べていたわけだから、鮮度のせいとも思えない。
食材事典というサイトに8月下旬から9月の新さんまより10月下旬から11月が最も脂ののった旬なのだと記されている。わたしはいつも早い時期の新さんまを食べてうまくない、と思っていたのかも知れない。(でも、ことしは9月からうまいのだが・・・)

同じように春先もかつおがたいへんうまかった。
これも豊漁だったという。

豊漁のときは、魚の味がよくなる、という法則があるのだろうか?

よくよく考えてみるとどうやらこの豊漁という現象は、ことしの異常気象と関係しているのではないかと思うにいたった。

わたしの想像では・・・ことしは猛暑だったためさんまのエサであるプランクトンなりが大量に発生したためかも知れないと思う。脂のノリはそのせいか?
では猛暑の前の時期のかつおの場合はどうだったのだろうか?
これも地球全体での異常気象で潮の流れなどが変化したからに違いない。

地球温暖化などこれからも異変が続きそうな気配だが、逆に魚の味はそのせいでどんどんよくなっていくのかも知れない。
なんちゃって、そうは、うまくいかないか。
2004年9月25日(土)
騒擾効果?
相乗効果?都心を少し離れると、よく道路の脇にパトカーを模したオブジェが設置されているところがある。
事故が起こりやすいところに造られるようだが、夜間とかはクルマのライトに照らし出されるとホンモノのパトカーに見える。

ドライバーは最初、驚いてスピードを落とすのだが、何回もそこを通るクルマには効き目がなくなる。
と思いきや、そのすぐ脇の物陰にホンモノのパトカーが潜んでいて「一斉」をやっていることがあるので、これにひっかかったドライバーはしてやられたと臍をかむ。

ところが、面白いものを見た。
写真の左下をご参照(ぜひ拡大してご覧を)。
そのパトカーのオブジェのすぐ手前に、風俗のカンバンが・・・。
警察がこれを見ると激怒するかも知れないが、カンバンがカンバンだけにニヤリとしてしまう。
こんなところに立てるとは!という以前に、そんな看板を立てることすら違法なわけである。そのうえフーゾクである。

しかし、これは注目度が高くなって、騒擾ならぬ相乗効果があるのでは?
「なんだろう?」と、ドライバーはスピードを落とすのではないだろうか?
交通安全に一役、かっているかも知れない。

さて、ケーサツはどうでるか?
(わき見運転も増えるかも・・・)
2004年9月19日(日)
能率「リフト」テーブル

リビングにはふつうソファーが置いてあるが、同時に炬燵も置いている家庭がある。わが家がそうである。
冬場など炬燵が欲しくなると、ソファーの前に置き、食事などは炬燵の上で摂ってしまう。いったんそうなるとそれは夏も同じで、ただ炬燵の掛布団を取り外すのみである。そうなると、ダイニングルームは既にモノ置き場になっていてとても座れる状態にない。

自宅で深夜のもの書き仕事をこの炬燵の上ですることがある。妻も、最近、パソコンを覚えて検索が楽しいらしく何時間もやっているが、炬燵では足が痛くなるので台所の椅子を持ち出してきて別に小さな台を設えその上でやっている。
お互いに中高年という年齢になって正座はおろか胡坐でも畳の上で長い時間、同じ姿勢で座ったままではとてもいられなくなった。しかるに、パソコンの魔力はそれすらも一時忘れさせてくれるため、後でひどい目にあってしまう。

ソファーに座ったままでパソコンができたらねえ」

それが発端で、2人で検討会が始まった。

掘り炬燵にするほどお金はかけたくはないのがまず前提である。高床式の炬燵値段が張るし、椅子が別についていてソファーがむだになるので論外。
ソファーは楽なのだが、それに座って食事や物書きをするには中途半端な高さである。炬燵では低すぎるし、台所のテーブルでは高すぎてしまう。
なんとかちょうどいい高さの安いテーブルはないものか。

どうしてテーブルってみんな70センチなの?!

妻が得意な検索で調べてもソファーの前に置くに適した50センチ前後の高さのテーブルが見つからない。
「しようがないから炬燵の足の下にブロックをいくつか積もうか?」
というとんでもない案も出て、こともあろうかその方向に進みそうになった。
「まてよ」
と、わたしが最後のあがきで、
高さ調節」というキーワードをいれた検索をしてみると、思いがけない逸品を見つけた。

それが、写真の「リフトテーブル」である。
リフトテーブル
●テーブル下のレバーで無段階に高さ調節ができます。
●ダイニングの補助テーブルやキッチンの作業台としても便利です。

とある。
「ちょっと小さいかな?」と思いきや幅120センチのもある。値段も安い・・・1万5,000円でOK10万円もする高床タイプの炬燵とは雲泥の差だ。
わたしは決めると早い。「即、申し込みだ」
momoda というドメインなのに「ひゃくだ」さんという珍しい名前の若社長さんから、何度も丁寧に出荷等々の連絡メールをいただいた。

使い心地は満点以上。おかげで無事、本サイトの開設もできた。リフトテーブル様々である。同じニーズをもつ人もたくさんいると思うので「新発見」としてここに紹介することにした。

さらに思わぬ利点は、

テーブル下の空間があき、掃除がし易くなった

●床に座らなくなったためそのスペースだけ部屋が広く使えるようになった



ソファに座ってページ更新・・・らくちんです。

これがまた素晴らしくいい。本当にいい買い物だった。

momoda さんのページへ
上記テーブル掲載ページへ
2004年9月18日(土)
ひょうたん?
バターナッツ知人からのおすそ分けで、写真のひょうたん型野菜をいただいた。山形の田舎から届いたカボチャなんですって、と妻は言う。
むこうではこんなのが採れるんだ、いったいどんな名前なのだろう?
調べてみると、これは「バターナッツ」正確にいえば「バターナッツスクウォッシュ」(butternut-squash)という、なんと外国産のカボチャらしい。
スクウォッシュ(squash)はレモンスカッシュのスカッシュと同じ言葉で、つぶしたものという意味のほかにウリ・カボチャ類の総称という意味もある。
パンプキン(pumpkin)もズッキーニ(zucchini)もsquashの一種なのだ。
日本のカボチャほどホクホクしてなくて少し水っぽいため、ふつうに煮て食べるよりはポタージュスープにするとおいしいという。でも甘みはけっこうあるようだ。
最初、主に英国で食べられているらしき記述がいくつかあったので、「これからは、グレートブリテン島をひょうたん島と呼ぶことにする」というオチを考えた。
が、どうもアメリカ原産らしいことがわかってなあんだ。
2004年9月17日(金)
書斎進化論

どこかの不動産かインテリアかのテレビCMで書斎を紹介していた。
純和風で、座椅子に机、脇息、生け花、障子、畳・・・まあね、というところなのだが。
「こんなの若い人は要らないわよね」と、妻。
「年寄りだって要らないさ」と、わたし。
座椅子なんかじゃ足が痛くて長時間座ってものを書いたり、パソコンを叩いてなんかいられない。
では、だれが使うんだろう?
マンションや戸建の内装に関わる人は、いわゆる書斎の画一的、貧困なイメージを早く捨て去るべきだ。
お客にみせるためだけの部屋?そんな贅沢はわたしたちには無縁のようだ。

2004年9月16日(木)
日記の効用

そういえば、日記をつけると「狸囃子」がきこえた日を記録できる。
そのときの天候や気温などもデータとして残しておけば、同条件での発生を予測できるかもしれない。そうすれば録音なども・・・・。

2004年9月14日(火)
新発見の発見

昨晩、帰宅中、久しぶりに夕刊フジを買って電車の中で読んでいたら、表 三郎著「日記の魔力」という本の紹介コラムが載っていた。
それによると・・・日記というものはその日の感想や反省などを書くのが一般らしいが、それだとたいがい3日坊主で終わってしまう。
日記は出来事を具体的に記述するだけでいい」
過去を懐かしむためではなく、未来に役立てるために書く」
といいという。
なるほど。
そこで、随筆があるからやめよう、と思っていたWEB日記を、あるテーマに絞って掲載してみようと思った。
それが、なにかいいことを発見したときだけに書く、コロンブスの発見とはいかなくともそんな新発見を書き記しておくシリーズ企画である。
名づけて「
Columbus Blog−新・発・見・日・記」。
この小さな発見から、わたしの第1日記録が始まる。
そういえばコロンブスは航海して新大陸を発見した(アメリゴ・ベスプッチとか諸説あるが)が、もともとWEBLOGのログとは航海日誌のことなのだから。

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